Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生の舞台でダンス・ダンス・ダンス

はじめに

へーい。
どうもおはようございやす。
村上春樹さんの小説は、昔のものが好きなタクさんです。

特に意味のわからない羊が出てくるシリーズが結構好きですねー。
逆に、最近のはちょっと苦手です。

なぜ最近のがダメなのかは僕の中ではっきりとあって、
主人公が同年代になると、ダメなんですよねー。
ほら、彼の小説内では、
バーでひとり、グラスを傾けながら飲んでいると、
意味深な女性と偶然知り合い、
そこで、意味不明な哲学的蘊蓄を語る。
ってなシーンが良くあるじゃないですか。

あれがねー。
主人公が一回り以上年上だと大丈夫なんですけどね。

主人公が同年代だと、
「んなわけあるかいっ!」
「んな奴おるかいっ!」
ってなっちゃうんですよねー。

みなさんは、どのようなハルキストライフをお過ごしでしょうか?

 

ダンスしよう

ま、そんな村上春樹さんなんですが、
「ダンス・ダンス・ダンス」という小説の中の一節に、

音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。

っていう一節がありましてねー。

なんかこの一節がどうも僕の心の中に残ってるんです。

この一節が、僕にとって、とってもワクワクさせてくれて、元気が湧き出るような一節なんです。

というのも、僕の解釈では、音楽の鳴っている間というのはね。
まさに僕らが生きている今そのものであり、
生きている間はとにかくこの人生の舞台で踊り続けようぜ!

ってな解釈なんです。

そう、まさに人生とはその舞台でダンスを踊る!
それ以上でもそれ以下でもない!
って感じているんですよねー。

これって、なんかワクワクしますよね。

上手く踊ろうとしなくていい。自分らしく踊るんだ

時にはね。

「自分はあの人のように、上手に踊れない。」
とか、
「自分の踊りはとてもみっともなく見える。」
と感じることもあるかもしれません。

でもね。

人生のダンスは誰かと比べて上手に踊る!というようなものじゃないんです。
いかに、自分らしく踊るか?自分が楽しく踊るか?
それだけですからね。
そこに比較なんている概念が入り込む余地なんてないんですよね。

みんなアホでそれで良い!

「踊る阿呆にみる阿呆」じゃないですが、
ま、みんなアホなんです。
だからこそ、誰かよりもかしこくあろうとしなくてもいいんです。

頭が良い人悪い人なんてのもありません。
やたら
「頭の良い人が〜、頭の悪い人が〜」とか、
「こういう人は頭が悪い人〜」なんて言う人がいますが、
そう言ってる人もまた、ちゃんとアホなんです。
こういう人は自分がアホだと気づいていないアホですね。
つまり無知のアホです。

「私はエライ!私は賢い!」
って思ってる人もまた、ちゃんとアホであって、
無知のアホなんです。

この世のアホには、
自分がアホだと知っているアホと、無知のアホがいるわけですが、
自分がアホであることを知っているアホこそ、楽しくダンスできるんです。

アホだと知ると自分らしく踊れる

そっかー。
「アホで良いんだー!」って知ることでね。
「うっそーん。みんなアホなんじゃん。だから可愛いんじゃん!」
ってことにも気づくんですよね。

するとね。
上手く踊らなくてもいいことを知るんです。

人生のダンスに上手いも下手もないんです。

そうなるとねー。
もう俄然、自分らしく踊れちゃうことになるんですよね。

さ、人生の舞台が続いている間は、とにかく踊り続けてみましょう!
自分らしいアホらしいダンスで踊り続けるんだ!

レッツダンス!

 

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