おっはようございます。
タクさんです。
今日は、既知と無知と未知ってなことをテーマに書いてみたいと思います。
さて、いきなりですが、みなさん「オズの魔法使い」ってお話ご存知だと思うんですけどね。
あれってね。思いっきり簡単にあらすじを紹介しますと、
最初、虹の向こうには素晴らしい世界があるに違いないって思ってた主人公が、
ある日嵐に巻き込まれてその世界に迷い込むところから始まります。
なんだかんだあって、その魔法の世界はハリボテのようなものだったと明らかになってきて、故郷がいちばん良いってことに気づいて、あれやこれやがあってなんとか戻ってくる。
と言った感じの話ですよねぇ。
また、悟りの世界では有名な
十牛図と呼ばれる悟りの階梯を表す図っていうのがあります。
これもね。
最初は幻の牛を探し求め、それをめでたく発見するわけですが、
いつしかその牛は消え去り、全てが消え去った後、元の世界に戻ってくる。
なーんてことが描かれてますよねー。
幸せの青い鳥も、また似たような話で、最初の場所が全てであって、探し物はすでにそこにあった。的なことなんですよねー。
まあ僕らって、自分が知っていること。
つまり「既知」のものではどうにも足りないって思っちゃうんですよね。
よく仏教なんかの教えでも、無知について語られていますよね。
そんな無知について語られると、なんかブッダとか聖者とかそういう人は、きっと自分が知らないことを知ってるんだろうなぁ。
なんて想像しちゃいますもんねー。
なので、
自身の既知ではまだまだ無知な部分がたくさんあるんだって思うわけです。
そして、未だ知らない未知の世界へ旅立ち、無知を埋めたい!って思うわけなんですよね。
で、あれこれと探し求めて、その道中でいろんな事を知ったとしても、そこに真の智慧がないことを悟るんです。
「悟り」って実は、どこかにある真の智慧を発見し、それを身につけるということじゃなくて、どこかには真の智慧がないことを知るってことだったんですねー。
そして、真の智慧とは、すでに最初からここにあったと知るんです。
その智慧の正体ってなんだったのか?と言いますと、
それは、既知だと思っていたことが、実は未知だったということやったんですねー。
そしてその未知こそが真の智慧やったというわけです。
そんな未知の中で既知をでっち上げてたんです。
そこで既知をでっち上げるもんだから、同時に無知を生じさせていたわけです。
そして、無知を既知に変える事で智慧が手に入るって思ってた事自体がね。
根本にある無知やったというわけなんです。
未知を未知のまま受け入れてみる。
すると、初めてそこで、無知の衝動がある事を知るんです。
はっはーん。この衝動がすでにある全てから目をそらさせていた衝動だったのねん。
って気づくんです。
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