Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全ては常に移り変わるという福音

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕はサラリーマンながら、
ここ2年くらいはずっと家にこもって仕事をしてるんですけどね。
たまに、出かけなきゃいけない仕事ってのがありましてね〜。

例えば、撮影のディレクション。みたいな仕事があるわけですが、
普段はカメラマンさんにおまかせなのですが、
どうしても行かなきゃいけない時ってのがたまにあるんですよね〜。

で、先日ひさしぶりにそれをやったんですが、
それが今年に入って初めて会社の人に会った出来事でした。

久しぶりに外に出て仕事をしてめちゃくちゃ疲れてしまいました。
いやー、外出ってしんどいですね!
もう僕は社会復帰出来ないかもしれない。。って思いました。
以前は毎日出社してたんですもんね〜。考えられんわ。。。って感じです。

ま、ここ数年ほぼ外出無しで行けたわけですから、オフィスがなくても仕事はちゃんと回るってことの証明ですよね。
この文化がずっと続いていけばいいなぁ〜って思っております。

だって、しんどいもん。

ただね〜。
僕みたいな場所を問わない仕事っていうのはね。
言い換えると、替えはいくらでもいるってことにもなっちゃうんですよね。

今後はね。
言語の壁っていうのもどんどん無くなっていくと思うんですよ。

そうなると、場所を問わない仕事の替えは世界中に存在することになっちゃいますからねー。
プログラマーなんかはすでにそうなりつつありますもんね。

ちなみにね。
デザインも海外の人にやってもらうってことはもう20年くらい前からあったんですけどね。
どうしても色使いが日本と海外ではちょっと違ってくるんですよね〜。
なんか、海外は派手っていうかね。

そのへんのバリアも今後は無くなっていくのかもしれませんね。

この辺は要注意かもしれませんね。

 

全ては常に移り変わるという福音

さてさて、ま、そんなふうに社会や仕事のあり方も常に移り変わるわけです。
それだけじゃなく、あらゆる全てのことが常に移り変わっているんですよね。

日本語だってどんどん変わっていってますもんね。

ま、そんなふうに全ては常に移り変わるっていうのはね。
とても正常なことであり、それこそが福音でもあるんですよね。

水と一緒で、滞ると腐ってしまうんです。

ただ、僕らっていうか、自我ちゃんはね。
ある種の状態を掴みたがるんですよね。

そして、状態にこだわってしまうんです。

状態というのは固定されたものです。
固定されたものがない世界でそれを求めているというわけです。

この状態へのこだわりこそが、いわゆる苦しみを生んでしまっっているわけなんです。

状態へのこだわりは負け確

だって、いい状態がほしい!って自我ちゃんは願うわけですが、
常に全ては移り変わっちゃいますからねぇ。

変わらないものなんて無いわけですよ。

ということは、いい状態をせっかく手に入れたとしても、
それを失うことはもう確定してしまっているということでもあるんですよね。

そして、自我ちゃんが一番嫌がるのが「死」なわけですが、
この「死」というものは絶対に避けられないものですからねー。

遅かれ早かれやってくるということが確定しているわけです。
(※この「死」っていうのも自我ちゃんが作り出した幻想なんですけどね。)

ま、遅かれ早かれやないかー!ってことですのでね。
だとすれば、自我ちゃんの願いは絶対に叶わないですし、
叶ったとしてもそれを維持することは出来ないということが確定しちゃっているわけです。

つまり、自我ちゃんに勝ち目はないわけです。

今日も味わい深い一日を!

だったらどうしたら良いのよ〜!って話なんですけどね。
答えは出てしまっているんですよね。
つまり状態へのこだわりなんかに終始しても負けは決まっているわけですから、
そのこだわりプレイから手を引いてしまうしか無いんです。

そして、今の生を思いっきり楽しむ!

コレしか無いんですよね。

つまり僕らの第一優先事項は、今を楽しむ!だったんです。
これを忘れちゃうといわゆる、「こうあるべき」みたいな幻想にまきこまれちゃうんですね。

状態へのこだわりとは、いわゆる条件付けです。
こいつにこだわると勝ち目はないわけですが、

今だけを楽しむっ!精一杯、生を味わう!

答えはこれなんです。
条件も状態も僕らを幸せにしてくれるものじゃなかったんです。

というわけで、皆さん、今日も味わい深い一日を!

 

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