Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

主体者がいるという錯覚が僕らを混乱させているのかもね

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。

いまだに、なぜ食べたものが血となり肉となるのか?
ということが、全くわからないタクさんです。

だって、これ。
めっちゃ不思議じゃないですか?

豚肉食べたらそれが自分の皮膚とかに変わるわけでしょ?

これってどのようなメカニズムなのよ??
ってなりません?

いやいや、栄養素がどうのこうのって話をしたいわけじゃありません。
どう頑張っても、机の上にある豚肉を皮膚や骨や髪の毛や血液に変えられないですよね?
ってことなんです。

無理ですよねぇ。どのようにこねくり回してもそんな事できませんもんね。

これがねー。
ものすごーく不思議で面白いなぁ〜って思うんですよね。

こんなメカニズムの前では、もう人智なんて屁みたいなもんですよね。
僕ら人間はゼロからイチを作ることはできません。

未知の物体を作ることなんてできないわけです。
すべてはあるものの加工しかできないんですよね。

新しい元素を作り出すことなんてできないわけですからね〜。

これらの、あらゆる臓器や人の形や動物の形、元素の数。
そんな者たちが作られる過程は、どういう意思があったのよ?
ってのも不思議でなりませんよね。

ホント、この世は奇跡の塊のようなものですね。

 

神という概念

きっとこの意思を持つものとして、人は「神」という概念を作って、
なんとかこの疑問に決着をつけてきたんでしょう。

そして、わからないものは全部、神のみぞ知る。
ということにしてきたんでしょうね。

でも、この概念もかなり無理があると思うんですよね〜。
ただもうわからないから、諦めてるってことなんでしょうか。
仮に神がいるんだとしたら、もっとわかりやすくしてくれても良いものですし、
ちゃんと出てきて、色々と説明してくれたほうが良いはずですもんね。
だって、意思があって世界を作ったのなら、その説明があったほうがお互いにとって良いはずですもん。
それをしないというのは、単に性格が悪いんとちゃうか?
って思っちゃいますもんね。

意思なんぞそもそも存在しない

多分、この辺が思考のクセによる錯覚なんだと思うんですよ。
つまりね。
なんでも、起こること、生じていることには意味がある。
そして、あらゆる出来事には主体者がいる。
その主体者の意思によってあらゆることがなされているんだ!
っていうのが、実はとんでもない錯覚なんですよね。

そもそも、この世に主体者なんて存在せず、
イノチの育みに誰かの意思なんてものも無いわけです。

そもそも、意思というもの自体が作られた概念に過ぎないわけです。

主体者がいるという錯覚が僕らを混乱させている

僕らを混乱させるもの。
その最たるものが、主体者がいる、コントロールする誰かがいる。
という考えなのかもしれません。

みんな、自分は自分でコントロールしている。
と思い込んでいるから、そんな錯覚が出てくるのかもしれません。

そして、自分でコントロールしていると思いこんでいるから、
うまくコントロールできない自分を責めて苦しんでいるんですよね。

そもそも、コントロールする者も主体者すらいないのにね。

ほんとにコントロールできるんなら、どんだけ食べても脂肪に替えないでおく。
ということも出来るはずですし、食べるのを我慢するまでもなく、
空腹を出さないようにすることだって出来るはずなのに、そんな事はできないわけです。

にもかかわらず、食べちゃう自分を責めたりするんですよね。
責められる自分は、とばっちりもいいとこです。

 

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