Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

退屈さという錯覚

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【はじめに】

へーい。
おはようございやす!
タクさんでやす!

ひょえー。
眠い。
あかん。
最近は時間を吸い取るゲームが多すぎる!

というわけで、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
僕は遊んでばっかりで仕事が思いっきり溜まっておる今日このごろです。

そうそう、集中力って皆さんはある方でしょうか?

仕事にしても勉強にしても集中力って大事ですよね〜。

でね。
集中できた〜!って思う時あるじゃないですか。
そういうときって、実はあまり集中できてなかったりするんですって。

アドレナリンが出て、おーしっ!今日はやったぞ〜!
みたいなときですね。

そういう時は実はあまり集中できてなくて、
むしろ、退屈だわ〜。ってな感じで淡々と作業した時の方が集中できているんだそうです。

でね。
アドレナリンを放出しながら作業するときって、ながら作業をしてるんですって。
そういえば、作業用の音楽とか、Youtubeでもあったりしますよね。

クラシックだったり、自然音だったりね。
でもこういうのも実は集中した感覚にはなるけど、実はあまり出来ていないんだそうです。

これ、なんとなーくわかるような気がします。

瞑想でもそうですもんね。
アドレナリン出てるときって瞑想できてるようでいて出来てませんもんね。

いわゆる悟りの体験なんかもそうだと思います。
あれも実はアドレナリンが出てるだけで、
ホントのところは、もっと当たり前で、もっとシンプルで、
「俺はやったぞー!」
というよりは、もっと淡々としていて

「あ、コレか。うん知ってた!」
って感じだよな〜。
って思いますです。

 

【退屈が当たり前】

まあ、コレってねー。
知ってたというとまたちょっと語弊があるんですけどね。

なーんていうかなー。
退屈しのぎになんかやってるとするじゃないですか。
適当に落書きとか、何でも良いんですけどね。

退屈だからこそ、色々やってるわけですよね〜。

でね。
これって、退屈が嫌だから何かをすることで退屈を埋めている。
って感じがするじゃないですか。

でもね。
元々はそうじゃなかったんです。
退屈の中にいた時は、それが良いとか嫌だとか、
そんなアイデアは持ち合わせてなかったんですよね〜。

いつしか、退屈は嫌だ!っていうね。
そんな錯覚に陥ってしまったわけです。

退屈は嫌だから何かで埋めているという気になっていて、
結局は退屈してるんですよね。

ただ退屈から逃げてるふりをしてるだけっていうね。

【当たり前】

この錯覚って、ある種のアドレナリン中毒みたいなものなのかもしれませんね。
スマホ中毒と似た感じでしょうか?

なにかに注意を払って置かなければ落ち着かん。
ってな感じでね。

これって、落ち着かないから何かをやって落ち着かせているって思いがちですが、
実は、落ち着いてないから何かをやっちゃうわけでしてね。
結局落ち着けてないんです。

落ち着くっていうのは、ものすごーく退屈なことなんですよ。
それでいて、淡々としてるんですよね。

淡々というのは、なんでも無いって感じです。
当たり前って感じですね。

【コレのこと】

コレのことってね。
そんななんでも無いことなんです。
退屈って、退屈を知る以前は、退屈ではなかったんですよね。
なんでも無いものだったんです。
当たり前中の当たり前ってかんじです。

コレが退屈だから、色々やってたわけでして、
色々やるうちに、こうしたほうが良いが出てきて、
うまくいったー!いかなかったー!
をやってただけなんですよね〜。

もとの退屈に戻ってきたなら、
「あ、退屈を誤解してたわ。戻ってみたら、知ってるやつだった」
「そっか、もうゴールにいたのか」
ってなことを、改めて知るというわけです。

なんか眠いからダラダラと書いちゃいました。
ではでは、また明日〜♪

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