Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らを縛る実在しないクサリ

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はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

森のくまさんっていう歌があるじゃないですか。
あの歌の歌詞ってかなり変ですよねー。

森で出会ったくまさんは、
逃げなさい!と言ってきて、
そして、逃げたら逃げたで追いかけてきて、

落としたアクセサリーを受け取って、一緒に歌う。

みたいなね。

なんじゃそりゃ?
って感じです。

あの歌の原曲はがたしかアメリカの歌で、
この原曲だと、日本で歌われているようなお花畑チックなイメージとはちょっと違って、
若干怖い感じの歌詞になっております。

原曲には、落としたアクセサリーを届けて一緒に歌うというくだりはなくて、
森で出会ったクマに、

「フフ・・お前さん、銃を持ってないみたいだが逃げなくて良いのかい??」

ってな怖いことを言われて、必死で逃げるんですが、
逃げた途端、クマがものすごい勢いで追いかけてきて、
崖に追い詰められ、崖から飛び降り、なんとか枝につかまって命からがら帰還する。

みたいなね。
そんな話になってるんですねー。

ゴンベさんの赤ちゃんも元はアメリカの讃歌なんですが、
日本では変な歌詞にされてしまっていたりして、
なぜ、こうなった??
って感じですよね。

 

思考から逃れるすべ

さてさて、
僕らもね。
どうしたら思考との同一化から逃れられるんだろう?
ってね。
あれこれと、思考から逃れるすべはないのか?と模索したりもするわけですが、

これも、思考に追われて逃げてるって感じでしょうかね?

重苦しい思考が追いかけてきて、なんとか逃れたいと逃げ回るわけですが、
朝起きた途端から執拗に追いかけ回されてしまう。

みたいなねー。

森のくまさんに追いかけられてるってのと似たような感じかもしれませんね。

いないものから逃げている

どうしたら、走るのをやめることが出来るんだろう?
あの追いかけてくるクマはどうしたら追いかけてこなくなるんだろう?
あのクマさえいなければ走らなくてすむのに、、、。

ってなもんで、走り続けているから僕らは疲れてしまうわけですが、
実際には追いかけてくるクマはいないんです。

疲れの原因はクマではなく、走っていることであり、
走り続けてしまう原因は、実際にはいないクマをいると信じていることなんです。

思考の同一化もそうで、
僕らがあれこれと思い悩むのも、走っているのと同様、ものすごいエネルギーを消費しているんです。
それで疲れちゃうわけです。

疲れの原因は、思いをあれこれと作り出していることなんです。

そして、なぜあれこれと作り出しているのか?というとその根底には何かしらの条件付けがあるわけです。

条件付けとカルマ

この条件付けは、真実と言うよりは、ただそういうことにしているだけのものなんです。
そして、この条件付けが燃料となりストーリーが延々と繰り返されているわけでして、
繰り返すことに疲れが生じ、苦が演出されているわけですね。

条件付けというものは、正解と間違いに分けられておりますので、
どうしたら、正しい方に変えられるのか?と奮闘するわけです。

この条件付けされたルール。
これがカルマと呼ばれているものなんです。

条件付けのなかで奮闘していても、いつまでたってもその条件に踊らされるだけだよん。
ってことなんですよねー。

たとえ、一度はうまくいってもね。
結局また繰り返されちゃいますもんね。

僕らを縛る実在しないクサリ

思考の同一化とは、何かしらのルール、条件付けによって引き起こされているわけでして、
しかも厄介なことに、この条件付けがなんだったのか?ということすら忘れちゃっていたりするので、僕らはますます混乱するわけです。

そんな中で、どううまく立ち回ったら良いのか?を探し求めるより、
まずは、
この混乱は、いったいどのルールを採用していることによって生じているのか??
を探るほうが先なんです。

そして、条件付けが見つかったなら、それに従うのではなく、
こいつを思いっきり無視してやるにはどうしたら良いのか?
という事をみてみると、僕らを縛る連鎖的な条件付けのクサリが見えてくるんですよね。

この、実在しないクサリが僕らを縛っていたわけです。

ひょえー!とんでもないっ!って話ですよ。
無いクサリに縛られて苦しめられてたなんてねぇ。

 

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