Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

かわいそうお化け

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【はじめに】

ほーい。

どうもおはようございます。
タクさんです。

僕の親戚の子供にねー。
小さい女の子がいるんですけどね。

その子がね。
子供らしくバタバタとあっちに行ったりこっちに行ったりしてたんですよ。
するとね。
顔面からバターンッてコケちゃったんですね。

僕もみてて、
うはーっ!コレはイタイで!って思ったんです。

あー、これはでっかい泣き声くるぞ〜ってね。
ちょっと覚悟してたんですが、その子泣かないんですよ。

イテ、イテテテ、、、。

て言って、父親の方に歩いていって、
「コケた!」
って言うんですけど、
父親は
「そ~か!派手にコケたな!」
っていうだけなんですよね。

すると、女の子も笑いながら、「コケた!イテテテ!」っていうだけなんですよねー。

この様子を見ていて、
子供がコケてギャーンって泣くのは、親が慌てて痛かったでしょう?大丈夫??
って言うからだ。

それを聞いた子供は、そこで初めて、
「私って可愛そうなんだ!」
ということを知って泣くんだ。

なんて話を聞いたことがあって、
これって、案外本当のことなのかもしれない。
って思いました。

 

【困ることと、かわいそうなこと】

まあ実際ね。
生きてると困ることって誰でもあるじゃないですか。

そりゃー年も取るし、病気もするしねー。
仕事だっていつでもあるわけじゃないし、景気だって良くなったり悪くなったりしますからねー。

だから、困ることは起こって当然なんですよ。
そして、なんとか出来ることはなんとかして、現時点でなんとも出来ないものは付き合っていくしか無いわけですね。

ただね。
困ってることはかわいそうなことなのか?というとそれはちょっと違うんです。

困ることは誰にでも起こる当然のことですからねー。

ただ、それを他と比較しちゃうから、かわいそうっていう概念が出てきちゃうんです。

【かわいそうお化け】

そして、その比較の概念を使って、自分をかわいそうにしちゃうことで、ぼくらはいわゆるかわいそうお化けに取り憑かれてしまうんですよね〜。

かわいそうというのは、お化けであって実体はありません。
ですが取り憑かれてしまうと、なんだか自分はなにか欠けた存在だと勝手に認識してしまい、足りない自分という幻想に悩まされてしまうんです。

そして、なぜ自分だけがこんなにかわいそうなんだ〜!と悲嘆に暮れたりするんです。

ちなみに、かわいそうお化けに取り憑かれているときの自分との比較対象は、必ず自分よりも困ってない人を持ってくるんですよね。

しかもそれは、今時点で困ってないだけですからね〜。
比較としても公平じゃないし、そもそも比較に意味もないんですよね。

いきなり他の人に対して、
「あなたはかわいそうですね!」
って言うのはかなり失礼なことじゃないですか。

「あらー!アナタはかわいそうねぇ」
なんていきなり言われたら、カチンときちゃいますよね。

それと同じことを自分にもしないことです。
それは自分に対して失礼なことですからね。

 

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