Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟り】ただ在るもの。それは「何か」ではない

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はい。
どうもおはようございます。
書類を扱うのが苦手なタクさんです。

いやー。
ほんと、書類がダメでねぇ。
ここに記入して郵送するとかね。
聞くだけで、もう面倒くさー!ってなっちゃうんですよね。

なので、郵便箱なんかもついついほったらかしになってしまうんです。

逆に、メールだとスイスイ読めるし、ネットでの申し込みなんかだと、
ストレスなくイケるんですけどねー。

ついでに、電話も苦手です。

さてさて、
僕らは真実からは目を背けられません。
だって、真実ですからねー。
でも、その一部だけにフォーカスすることによって、
真実を見失っちゃうんです。
もちろん、その一部も真実だといえば真実なんですけどね。
真実とは全体性でもあるので、この全体性が見失われるんです。

だから、すでにそれそのものである「それ」をすでに目にしながら、
見失っちゃってるというわけなんです。

 

ただ在るもの。それは「何か」ではない

「それ」とは、ただ在るものです。
ただ在るとは、「何か」ではないということなんですね。
この「何か」にしてしまう機能。
これがフォーカスなんです。

フォーカスとはマインドが何かを掴み取ろうとする働きです。

よくね。
目の前に真実があるのなら、今ここに至福があるのなら?
どうしたらそれがわかるの?どうしたらいいの?

ってね。
思うかも知れません。

このどうしたら?というのは、

何を掴み取ったらいいの?どこにフォーカスすればいいの?
ということと同じ意味なんですよね。

そして、何かを掴み取ろうとすることによって、
僕らは「それ」とは別の何かに気をそらしているわけなんです。

つかもうとする衝動に気づくコツ

そして僕らは、何かを掴み取ろうとしていることにすら気がついていません。
いわゆる修行やワークと呼ばれるもの。
はたまたあらゆるメソッドがありますが、
これらは、僕らは何かを掴み取ろうとしているよね!
ということに気づく練習と言えるかも知れませんね。

ですが、イジワルなことに、このワークの先に「それ」があるわけでもないんですよね。

このワークもまた、何かを掴み取ろうとする働きになってしまうので、
それも捨ててしまわなきゃならんわけです。

例えていうと、
ゴミ袋に、ゴミを集めたのなら、このゴミ袋ごと捨てなきゃならん。
ということなんです。

ついつい、みにつけたワークを大事にしたくなっちゃうんですけどね。
ありがたい教えや、いにしえのマントラ。非二元の教え。究極の瞑想状態。一瞥体験。
霊的な覚醒。悟りの境地。ワンネス体験。クンダリーニ。
これらも一緒に捨てちゃうんです。
ゴミ袋をとっておこうとしちゃうと、ゴミもまた残っちゃいますからねー。

静寂と溶け合う

何かをつかもうとする働きを知ることによって、初めてこの働きを置いておくことができます。
何にもつかまずに、ただ座りながら待っていればいいんです。
そして、待ちながら待つことすらもやめちゃうんです。
すると、静寂だけが残ります。
この静寂は音がないということではありません。
心だけがただ静かにあるということです。

すると世界の方から溶け合ってきてくれるんです。
こちらはただ、静かにあればいいんです。

なんの手がかりも必要なく、ただ遊んでいた小さい頃の感覚。
この見失っていた感覚がよみがえってきてくれるとき、
見失っていた全ての感覚が蘇ってくれるんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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