Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

混ぜるな危険!

f:id:takuteto:20211110233427j:plain

【はじめに】

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん、ごきげんでしょうか?

まーねー。
お仕事をしている方なら、イライラする場面や理不尽な場面にも遭遇したりしますよね。

イライラするとき、なにかに怒ってる時って、
なんどもその状況を繰り返したりしますよね〜。

あんな言い方なんてひどい!
あのとき、言い返してやればよかった!
今度はこのように言ってやろう。
もし、地位が高かったなら、こんな事言われなかったのに。

とか、
モンモンとしちゃうんですよね〜。
きっと皆さんにも心当たりがあるんじゃないかな〜って思います。

モンモンするってどういうことか?
っていうと、
あれこれと、イライラを解消する術はないか?
って、その方法を探し求めている。
とも言えるかもしれませんね。

みーんな、イライラしたい、怒りたいって思ってませんもんね。

そういえば、子供の頃、親に怒られている時、
「怒りたくて怒ってるんじゃないんだぞ!」
って言われませんでした?

怒りたくないなら、怒らなきゃ良いのに、、、。
そうすれば、win-winなのに、、、。

って思ったりしましたよね〜。

というわけで、今日は怒りやイライラについて書いてみたいと思います。

 

【だーれも怒りたくはない】

みんな、イライラしたり怒りたくはないんです。
心はいつも、穏やかに〜。
ってね。
そんな具合でありたいですもんね。

だから、なんとかイライラしない方策をあれこれと考えちゃうわけです。

ただ、厄介なことに、その方策をあれこれと考えれば考えるほど、
自分は今怒っている!イライラしている!
ってなことを再認識しちゃうんですよね〜。

つぎは、なぜ自分はこうもイライラしてしまうんだろう。
どうしたら気にせずにいられるんだろう?
って考えちゃったりしてね。

で、これを考えるとまたもや自分が怒っていることを再認識させられるっていうね。
そんなるつぼにハマっちゃったりするもんです。

【べきではない教】

そんなぁ〜。
袋小路じゃ~ん。
って思うかもしれませんけどね〜。
これって、やっぱりどこかで、「イライラすべきではない!」っていうね。
「べきではない」にハマっちゃってるってことなんですよね。

「べきではない」が抵抗を生み出しているんです。

抵抗するから余計にしんどくなるんです。

そもそもね。
イライラするのは当たり前なんです。
そして、当然の権利なんです。

きっと、自分が損なわれる!っていう思いをしたんでしょう。
だから怒りも湧くし、イライラもするんです。

これはね。
当然の働きなんですよね。

また、イライラしたくない!という思いもまた当然の働きです。

このイライラしたくない!とイライラする!を混ぜるからややこしいことになるんですね〜。
普通は混ぜちゃうんですけどね。
これ、混ぜるな危険!案件なんです。

【当たり前〜♪】

実はイライラしたくないという思いと、イライラするという思いは全く別の話なんです。
ここを一緒にしなくて良いんですよね。

なので、イライラするのは当然だと、まずはそこを認めてあげるんです。

あんな事言われたんだもん。イライラするのも当然よね!
ってね。
そこをしっかりと認め受け入れてあげるんです。
誰かのせいにしたり、何かのせいにするということではありません。
それは、イライラを解消しようとする働きですからね。

そこに行き着く前に、まずイライラする、怒りがあるというのは
ものが上から下に落ちるのと同様に当たり前の自然の摂理なんだということを
受け入れてあげるんです。

ほっぺを叩けばジンジンする!
当たり前〜♪。
ってのと一緒なんです。
それ以上でもそれ以下でもないんです!
これでおしまいです。

そしてね。
イライラしたくないというのもこれまた当然です。
だって、不快ですもんね。
不快なものを取り去ろうとする働きはとても自然なことです。
これは、これとして、
「そりゃそーだよな!」
と受け入れてあげるんです。

手が汚れたら洗いたくなるのと一緒ですもんね。
それを認め受け入れてあげるんです。

手が汚れたら、、、、、。洗う〜!
当たり前〜♪。
以上。
これでおしまいです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!