Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この話って非日常と日常を行ったり来たりするものなの??

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【はじめに】

ほいっ!
おはようございます。
タクさんです。

まーねー。
こういう非二元の話とかってね。
聞いてるときはなーんだか楽になった気がするんですよね。

そっかー。
ホント、私ってばこのままで良いんだ〜。
なーんてね。

自由なんだ〜!
ってな感じで。

やっぱ、こういうのって休日に聞くことが多いじゃないですか。
でね。
せっかくいい気分になったのに、いやらしい月曜日がやってくるんですよ。

そうすると途端に普段の日常に巻き込まれちゃってね〜。

おいおい!とたんに普段の日常にガンガン自分が責められちゃうわけです。

あーれー。
自由だって聞いたのにやっぱ不自由じゃん。
この話って、普段の日常とは別の話なの??
やっぱりどんなに楽になったとしてもこの日常からは逃れられないジャーン!

ってね。
そんな風に感じておられる方って結構多いと思うんですよね〜。
でもって、この日常と楽になれる自分っていうのは、なにか別物のようにも感じたりしてね。
普段の日常は我慢してこなして、時間があいたなら楽に浸って英気を養う。
これって、所詮こういうことなのかな?
って感じたりもしてね。

 

【反応に罪はない】

いやー。
こういう気持ちはわかります。
僕もね〜。
休日にマッサージとか行くんですけどね。
その時は楽になっても、普段の座り仕事生活に戻ると、
やっぱり徐々にしんどくなってきますもんね〜。

マッサージと一緒すんな〜!こっちは深刻なんじゃいっ!
って方はごめんなさい。

ま、でもね。
これはなにも、日常と楽に感じる非日常を行ったり来たりする。
といったような話ではありません。

とはいえね。
なんだか、楽ちんポンになって、
うふふふ〜ってお花畑な感じがずっと続く。
といった話でもないんですね〜。

そもそも、日常も非日常も日常ですからねー。

ま、確かに楽っちゃ楽にはなるんですけどね。
うふふふ〜って感じではないですし、
つねにお気楽ポンチッ!ってなことともちょっと違うんですよね。

イラッともしますし、しまった〜!ともなりますからね〜。
ただ、それだけなんですよね。
それをなんとかしようってのはありません。
思考ちゃんはなんとかせねば!って反応したりしますけどね。
でもそれもやっぱり、ただそれだけなんです。

これはこそばされると笑ってしまうという反応と一緒で何ら問題ではないんですよねー。

【なんとかしようとしないのなら向上心もなくなるの?】

なんとかしようというのは無い。
って聞くと、じゃあ資格をとろうと勉強しようとするのも無いし、
向上心ってのもないの?
って勘違いされる方もおられるかもしれませんが、そういうことではないんですよ。
さすがに僕は資格を取るつもりは今はないですがね。
ゲームなんかでは一所懸命レベル上げをしたりしますからね。
今年始めた金魚飼育でも色々と調べて、ものすごく知識は増えましたし。
最近はサボってますが、ギターの練習もしますし、
もちろん、仕事の知識を得たり研究したり、色々と本も読みますからね〜。

そういうのは変わりません。

ただただ、シンプルになるだけなんです。
っていうか、元々シンプルなんですけどね。

シンプルな土壌の上で色々とイメージしていた世界観はあくまでイメージでしかない。
ということを知るって感じですかね〜。
ただ、知るというのは理解するということでもなくて、元々のシンプルに戻るってことなんですけどね。

【全てはおまかせ?】

よく、勝手に物事が運ばれてくるようになる。
みたいなね。
そういった表現が見受けられます。
だから、今まで自分で必死に漕いでたけど、そんなことしなくても、
ちゃんと向こうから望むものがやってきてくれる。
みたいなね。

でもこれ、元々そうなんですよね〜。
ただ、僕らは不足と望みがごっちゃになってるうちは、
それが見えてこないんですよ。

全然望みがかなわないんですけど!って思いも単に不足という錯覚に目を奪われているってことに過ぎないんですよね。

不足に目を奪われているうちは、望みというのはその不足を補うものになるんですけどね。
そもそもその不足っていうのが錯覚であって、その不足ゆえに自分を責めるってことが無くなってくると、ちゃんと物事がやってきてくれるわけでして、自分が何かをしてるわけじゃないってのは、ずっとそうだったやない。ってことを知るんです。

ま、こう聞いちゃうと、これはしっかりと理解してみたいぞ!
っていう自我ちゃんのささやきが聞こえてくるかもしれませんが、
そのささやきに乗っかっちゃうと途端にワカランのるつぼに巻き込まれるんですけどね。

なぜなら、理解しようというのが、自分が何かをしてるっていう錯覚の最たるもんだからなんですねー。

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