Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

高みほど価値があるという錯覚

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【はじめに】

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

いやー。
うちの屋上からね。
富士山が見えるんですけどね。

最近、新しい家が建ったせいで、
ちょっと富士山が見にくくなっちゃいました。

うーん。くやしいっ!

ということで、
皆さんはどのような景観ライフをお過ごしでしょうか?

ま〜富士山ってねー。
なんか良いですよね。

別にただの山なんですが、
新幹線の窓から富士山がみえたなら、

「あ!富士山やっ!」

って思いますもんね〜。

まー、登るのが好きな人もいますよね。
僕は山登りは高尾山どまりなんですが、
シーズンになると頂上付近は渋滞なんだそうです。

ま〜僕は、登るよりは遠くから見る派かなー。

 

【高みに登りたいという幻想の欲求】

豚もおだてりゃ木に登る。
なんて言葉がありますが、
実際のところ、豚をどんなにおだてようが、木には登りません。

どんなにおだてても、豚はきっとマイペースなはずです。
それよりもエサくれ!ってなもんです。
おだてて木に登るのは豚じゃなくて人間なんですよね。

どうも、人間だけが高いほうが良い!って思ってるフシがありますよね。
タワーマンションでも高いほうが価値が高いそうですし。

僕なんかは絶対低いほうが便利度が高いと思うんですけどねー。

【高みほど価値があるという錯覚】

どうも僕ら人間は、高いほうが価値が高く、
どんなことでも高みに登りたい。という錯覚をしてしまうというプログラムがあらかじめされているみたいですね。

だから、どうすれば高みに登れるか?ということばかりを気にしちゃったりしてね。

ま、実際には、人間にこのプログラムが施されているというよりは、思考という働きが高みを目指すという働きである。ということなんですけどね。

そして、人間は思考に頼る比率がただ多いだけということでしてね。

ただ、この高みの登るっていうのはねー。
登れば登るほど、足元がおぼつかなくなってくるんです。

【高みを目指すほどに自由は縛られる】

山にしたって、登るほどに面積は狭くなっていきます。
そして、立ち位置はどんどんと狭くなっていくんです。

また、高くのぼれば登るほどに、下に落ちるのは怖くなります。
これって、ちょっと皮肉ですよね。

エラくなろうと高く登るほどに自由は無くなっていき、落ちる恐怖という
今までなかった恐怖が新たに加わってくるんですもんね。

これもまた、そもそも高いも低いもないという真実を見失った所以なのかもしれません。

【安心しながら高みを見物!怪物くんメソッド!】

このブログでお話しているような非二元のお話は、イエスさんやブッダのような高みから下に向けられたメッセージではありません。

むしろ下から上にいる人達へ、見上げつつもそんなに登りきっちゃうと怖いんじゃないの?
もし怖いんだとしたら、足だけ地面につけておきなよ。

という提案なんですよね。

怪物くんのように、足を地面にしっかりと付けながら、
足をにょ~んと伸ばして、高いところをたまには覗いてみたら良いんです。

足が地についていたなら、怖くはないんです。

僕らは、足が地から離れるから、妙な不安感を感じたりしているのかもしれません。
ま、実際には高いも低いもないんですけどね〜。
この辺は、高さに価値なんてないんじゃん!って知ることで発見されたりするんです。

 

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