Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生は壮大な暇つぶしであるの巻

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【人類最大の発明とは】

人類最大の発明ってね。
人によって意見が分かれるところだと思います。

ちなみに、セールストークで妙に使われるのが、
人類最大の発明は複利だー!
ってやつですね。
アインシュタインが言ったとか言わなかったとか言われております。

ちなみに、これを誰かに言われたなら、あ、金融商品かネットワークビジネスの話をしだすんだな。
って思うようになった、タクさんです。
どうもおはようございます。

まーでも、人類が色々発明をしてきた背景にはね。
それだけの時間が使えるようになった。
ということが大きいんだと思うんですよね。

つまり、人類には大きな可処分時間が出来た!ということになります。
遊びの時間ですね。

そして、この可処分時間を生み出した最大の発明というか発見は、
「火」なんですよね〜。

この火の発明が僕らの可処分時間を生み出すきっかけになったんです。

なぜ、「火」なのか?というと、火の発見に伴って、人類は食べ物に火を通すということを覚えたわけです。
これがねー。
人の可処分時間を生み出した最大の要因となったんですよね。

なぜなら、火を通すことによって、様々な菌やバクテリアを消毒することができるからです。
そのおかげで、食べ物を消化する時間を大幅に減らすことに成功したんです。

ほら、
動物園なんかに行ったら、動物たちって基本ゴロゴロしてると思いませんか?
あれってねぇ。
食べ物を消化するためだったりするんですよ。

食べ物を消化するには、体の中で毒素を分解したりしなきゃいけないので、
ものすごくエネルギーを消費するんですよね。

だから、ゴロゴロして、他のエネルギー消費をおさえなきゃならないんです。

人類は、このゴロゴロ時間を火を通すことでものすごーく短縮することが出来たんですよね。
だから、あれこれと発明に費やす時間が増えたんです。
つまり、暇な時間が増えたというわけですね。

 

【比較の概念は錯覚】

ただ、こうやって可処分時間が増えて、いろんな発見や発明をしてきた人類は、もしかしたら、ある種の観念。
つまり「常に発展・成長していかなければならない。」
なんていう妙な強迫観念を持ってしまったのかもしれませんねー。

だって、本屋にいっても、ビジネス系YouTubeなんかをみても、
やたらと、能力開発やら、より良くなるにはどうすればいいかの話でもちきりだったりしますもんね。

で、この「より良くなる」っていう概念がね〜。比較の概念をもとになりたっておるわけでして、この比較って嘘八百なんですが、知らないうちにそれを信仰させられてる。
なんてことになっちゃったりするわけです。

動物たちをみてたらわかるように、元々、日中というのはゴロゴロするものだったはずなのに、いつの間にか一分一秒を争ったりしてるんですよね。

あ、別に一分一秒を争っても良いんですよ。
ただ、それはゴロゴロしてるのと価値の差はないということです。

もし、差があると思ってるなら、それは比較の概念にダマされておるんです。

好きでやってるのなら、良いんですけどね。
時間に追われているのだとしたら、追ってきてるのは時間でも鬼でもなくて、自分で作り出した錯覚に追われておるんですよね。

つまり自分に追われて自分が逃げてる、ということになりますな。

【ヒマ時間の罪悪感】

自分に追われてるとも知らずいると、ついついヒマな時間に罪悪感を感じたりもしちゃうわけです。
追ってくる何者かに捕まえられると、まるで自分は置いてけぼりになってしまう。
なんていう錯覚をしておりますのでね。

「うさぎとかめ」のうさぎみたいに、ゴロンとしてたら大変だ!と
いもしないお化けを怖がるかのように、ヒマを怖がってたりするんですよね。

だから、せめて思考で頭の中を一杯にすることで一応、何かしてる気になったりするわけです。

瞑想やマインドフルネスも成長のため!とかになっちゃったりしますもんね。
あれって、ただ座ってるだけなんで、ゴロゴロしてるのと変わらんのですけどね。

よし!これで英気を養えたぜ!成長したぜ!とか思っちゃうところがカワイイですよね。

【人生は暇つぶしである】

そもそも人生なんて暇つぶしのようなものなんです。
だから、好きにつぶせば良いんです。

暇の潰し方に、高尚も低俗もありません。
そして、罪悪感なんてものの入り込むスキもありません。
瞑想や座禅やマインドフルネス。
まー、呼び方は何でも良いですが、あれも結局は、
比較の概念によって疲弊した自分にたいして、本質はゴロゴロすることでっせー!
ということを思い出す訓練をしているようなものです。

だから、ものすごーく暇なことをやってるわけですね。

ああ、今日はものすごくいい感じで瞑想に入れた!
というのは、

今日はすごくゴロゴロした!
というのと同じようなものです。

これをまた成長と捉えちゃうと、あの時はいい感じで瞑想に入れたのに、今日は雑念ばかりだった。
まだまだ、修行が足りない!もっと瞑想しなければ!
とか思っちゃったりするのも、やっぱりちょっと天然ボケでカワイイですよね。

あれこれ考えてても、一休みしてても、外から見れば一緒ですもんね。

だから盛大に暇を遊べば良いんです。
暇つぶしに価値の差はありませんから、変な強迫観念に騙されそうになったなら、
あれ、もしかしたら私って、天然ボケなことをしてる?
ってね。
そんなかわいい自分はどんな自分だろう?って見つけてあげれば良いんです。

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