Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【人間だもの】比較から始まる善と悪

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【踊る阿呆にみる阿呆】

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

踊る阿呆 (あほ) に見る阿呆。
同じ阿呆なら踊らにゃ損々。

ってねー。
これは確か阿波踊りの歌の歌い出しの歌詞だったかと思うんですけどね。
僕はこの歌詞が結構好きだったりします。

ホント、人って自分自身で人間は万物の霊長である。
とか、自分で人類を最高位に位置付けたりね。

そして、地球上の支配者だと勝手に思っていたりするわけですが、
それをみても、やっぱりアホっぽいなぁ〜。
って思いますよね。

宇宙人はいるのだろうか?っていう疑問もあったりしますが、
なんで、宇宙の生物が人型なんだと思ってるんだろう?

そして知的生命体こそがその星の代表だと思っているというところも、
ちょっとイタイですよね。

そうなんです。
人って基本的にアホなんです。そしてアホとは愛らしいものでもあるんですよね。

関西でいうところの「アホやなぁ〜」って感じでしょうか?
だからこそ、人は可愛いものでもあるんです。

ちなみに、僕は盆踊りでは、見る阿呆です。
皆さんは、踊る阿呆ですか?見る阿呆でしょうか??

 

【人間だもの】

「あの人のことを信じてたのに!」
「あんなことをするなんて、とてもひどい人だ!」

なーんてね。
そんなことを思ったりすることもあるかもしれません。

また、会社なんかではねー。
誰かが遅刻するだけでも、
「ダメだよっ!」ってな感じでピリピリしちゃったりしてね。

ちなみに僕なんかは、結構な遅刻魔だったりするのでねー。
もう約束の時間の1時間前くらいにはスタンばっておかないと、
まー、遅れちゃいます。
なので、大体現場に着くのは30分前だったりします。
つまり、1時間前だと思って行動したらちょうど30分遅れるって感じですね。

まーでもね。
あまり人の人間性っていうのかな?
人の清廉潔白さみたいなものって信じない方がいいよねーって思うんです。
だって、人の本質はアホなんですもん。
そして、それこそが人が可愛いゆえんなんですもんねー。

人だからこそ、
アホみたいなミスをするし、
つかなくてもいい嘘をついちゃいますし、
やる気を見せてたくせにサボるんです。

そして、ついつい良い人にみられたがるのも、
これまた、人のサガなんです。

だから、
誰かが嘘をついたとか、約束をすっぽかしたとか、
遅刻したとか、失敗したとか。
もうそれは、その人が人であるということですのでね。

それでいいんです。

これこそが、
「人間だもの」ということなんですよねー。
相田みつをさん的に言うとですけどね。

【比較から始まる善と悪】

僕らはどうしても思考を通して世界をみちゃいます。
みるというか、なんでもない世界を思考の色に染め上げちゃう。
と言った方が近いかもしれません。

ただ、残念なことに、思考の色に染め上げる際にどうしてもこの「なんでもなさ」が失われてしまうんです。
そして、「なんでもない」が失われると同時に、完璧さというものも失われてしまいます。
なぜなら、思考の中には、「比較の概念」が存在するからです。
この比較は、最初は単なる区別でしかなかったものが発展し、
これは良い。これは悪い。
そして、これは正しい、これは間違い。
ってな具合で、良いと悪いが誕生するんです。
そして、そのせいで、完璧さが失われるんですよね。

思考によって分離が生まれ、完璧さが失われるのに、思考は完璧さを目指します。
そして、それはより良い、より正しいものの中にあるのだ!という錯覚をしちゃうんですよね。
ですが、正しいの裏には間違いがどうしても必要なので、思考は進めれば進めるほどに完璧さから程遠くなってしまうんです。

僕らが完璧という言葉を聞いてイメージするのは、この思考が求める完璧さだったりするんですけどね。
この思考の求める完璧さとは完璧ではないんですよねー。

【全ては許されている】

全ては完璧というのは、全ては許されているということなんです。
許す許さないは思考の中にしかないんですよね。
それはイメージなんです。

だからね。
あなた自身の全てはもう許されているんです。
もしそう思えないのなら、それはあなたの中のイメージが邪魔しているだけなんです。

そのイメージの嘘が見抜かれると、自分は許されていたことを知るんです。

でも、そんなのわからないよ〜!どうやって見抜くのよ〜!
ってね。
思われるかもしれません。

それにはまず、嘘でもいいからあなた自身を許してあげてみる。
というのが、この突破口となります。

実は嘘なのは、自身を許せないと思っている観念の方なので、嘘でもいいから許すというのは、実は嘘ではなくてホントだということなんですよね。

ちょっとややこしいですね。
この辺の話はまた改めて詳しく書いてみたいと思います。

ですが、自分のアホさを許した時、人のアホさもまた可愛らしく見えてきます。
逆もまた然りで、人のアホさを受け入れてあげた時、自分もまた許されるんです。

自分も他人も、実は自分の中にいて、外だと思っていた世界もまた自分の中の投影にすぎないんですよねー。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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