【はじめに】
はいっ!
どうもー。
おはようございます。
タクさんです。
最近のビジネス関連で流行している文句の一つに、
「商品を売るな!ストーリーを売れっ!」
ってなもんがございます。
つまり、ストーリーに共感してもらうことで、ファンになってもらう。
すると自然と商品は売れていくぜ!
っていうね。
そういう手法です。
この流れは、今後もどんどん加速していくんだろうなーって感じております。
なぜなら、僕らの思考というのは、ストーリーそのものであり、
そんな僕らは、常により良いストーリーを求めているからです。
でね。
この思考のストーリーの何を求めているのか?というと、
ストーリーの中にある種の拠り所を求めているんです。
人は人生においてどんなストーリーを作りあげれば良いのか?
その正解を求めているわけですが、実は正解というよりは、
自分が拠り所にできるストーリーを実は求めていたりするんです。
【神という拠り所】
昔はね。
その拠り所は神様という概念が担当しておりました。
神の言葉こそが正しく、その言葉に従ってさえいれば、それが正しいとされてきたわけです。
まー、シンプルですよね。
だから、歴史書なんかを読んでいても、自分の生き方は神の意思に沿っているのか?
と都度、自分に問うてみる。なーんてシーンもよく見受けられます。
僕は今、漫画のキングダムにハマっているんですが、このキングダムにも出てきている蒙恬(もうてん)将軍。
彼は、策略によって、死刑を言い渡されます。すでに死んだ始皇帝の偽の文書を作成し、邪魔だった蒙恬将軍を殺そうとした者がいたわけですね。
その偽手紙を受け取った蒙恬将軍は、
「せめてもう一度確かめてみましょう!」と止める側近のいうことも聞かずに、
「きっとこれは、池脈を乱してしまった天罰なのだ!だから私は死ぬべきなんだ」
と納得して自害してしまいます。
池脈を乱すとはどういうことかというと、彼は万里の長城の建設を担っていたわけですが、その時の工事で、神の定めた池脈(水脈)を乱してしまったと罪悪感を持っていたらしいんですよね。
【現代人は失った拠り所を求めている】
まーとにかく、人は長い間、神という存在を思考の拠り所にしてきたわけです。
ところがどっこい。
この神様という非科学的な存在は、科学の発展によって途端に力を失います。
科学こそが神様にとって変わったわけですね。
そんな流れがきたことにより、今度は科学的に正しいか間違いか?
これが幅を利かせるようになってきました。
ほら、ネットでも、最新の論文ではこう言われている。
どこどこの実験によればこんな実験結果が出ている!
みたいにね。
ドヤ顔で語る人がいるじゃないですか。
これこそが、絶対的に正しいのだ!
と言わんばかりにね。
本来は正しいも間違いもないんですよ。
この世にはね。
でも、思考の仕組みとして、より良いこと、良さそうなことを選ぼうとする習性がありますのでね。
それが、比較という錯覚をうみ、そして正しさという空想の概念を作り出すんです。
でね。何が正しいのか?と探求をするわけですが、
それが、最近は神から科学へと変わってしまったわけです。
ただ、科学もねー。
正しさしか提供してくれず、以前の神ほどの全てを委ねたいと思うほどの力ってないんですよね。
しかも、今の研究ではこうであっても、結局コロコロと変わっていきますからねぇ。
だから神を失った僕らは、依存先を求めるジプシーとなってしまっておるわけです。
そして、共感できるストーリーを求めるんです。
神いない現代。もう頼るものはストーリーだ!ってなもんでね。
ストーリーにすがりたいっ!と思ってたりするんですよね。
【自分の光を育もう!】
ただ、僕が言いたいのは、だから人に共感されるようなストーリーを作れ!
ということではありません。
そんなもんね。人なんてみんなアホなんですから、綺麗事を言えば言うほど疲れるのは自分です。
だから、疲れるようなことはしない方がマシってなもんです。
ただ、きっと、そういうことは賢い人が今後もガンガンとあの手この手で仕掛けてくるでしょう。
そして、そのストーリーの嘘さがバレては炎上する。なーんてことを繰り返していくんだと思います。
だから、それは、やりたい人にお任せしておけば良いんです。
それよりもね。
そんな他人のストーリーに乗っかっちゃうよりは、
自分のストーリーを大切に育んだ方がいいよ!って思うんです。
自分のストーリーはもしかしたら、
賢い人が仕掛けるストーリーよりも、一見しょぼく感じるかもしれません。
でも、誰かのストーリーに共感する以前に、自分から発せられる光を大事に育んであげる。
この自分の光を育むということ。
それこそが、やはり人生の醍醐味ですからね。
【幻想だからこその醍醐味】
もちろんストーリーはすべて幻想です。
だからこの幻想に価値の差なんてないんです。
自分のストーリーがしょぼく見えるのなら、それは錯覚に過ぎません。
でも、外の光に引き付けられるより、自分にも光があるんだとしり、それを育んであげることで、初めて自分の内側から光が輝き出すんです。
誰かのストーリーに乗っかっても、その光は作り物の他人の光でしかありません。
ホントの拠り所は他所に求めなくても、ここにちゃーんとあるんです。
自分の光を育むこと。そしてそれを拠り所にするということ。
これが自燈明です。
自燈明とは、人生の醍醐味を味わうための攻略のヒントなんです。
もちろんね。全てはもう完璧に完結しております。だから人生とはオマケです。
この話は、このオマケをいかに遊ぶか?
いかに美味しく味わうか?
というお話なんです。
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