【はじめに】
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
チーズだったりキノコだったりねー。
いろんな食材ってありますけど、
いつも思うのはこれを最初に食べられると判断した人は、
なんでこんなものを食べられると思ったんや!
ってねー。
不思議に思ってたんですよね。
やっぱり昔の人は第六感みたいなものが働いて、
それで、食べ物を判断したりしたのか?
だったらすごいなー。
と思いましてね。
ちょっと気になって色々と調べてみたら、
実は、人って食中毒で、今までに物凄い数の死者がでておるんですよね。
歴史上でも、いろんなものを食べてみる人って沢山いたらしいんですよ。
グルメの人もいたでしょうし、食べるものがなくてやむにやまれずという場合もあったでしょう。
そして、やっぱり物凄い数の人が、それで死んでいたりもするらしいです。
なんじゃい。
ものすごーく死んどるやんけ!
今いろんな食材があるのも、壮大な好奇心と人体実験の結果だったんですね。
皆さんはどのような食べ物がお好きでしょうか?
【私はいない?分離はない?】
さてさて、
こう言った話で、やっぱりみんながものすごーく引っかかるのが、
分離がない。個人はいない。
という部分なんだと思うんですよね。
なぜなら、これって、どう考えてもわからないことだからなんですねー。
じゃあ、わかることって何よ?
って話なんですけどね。
元々は何かしらのなんでもない認識。
この認識をするとすぐにレッテルを貼るんです。
そして、レッテルに応じて解釈をします。
比較の概念を使い、何かとその認識を比較し、
そこに、正しさや間違い、好きや嫌い、良いことや悪いことに分けるんです。
この一連の流れがいわゆる思考の上での「わかる」ということなんですよねー。
【全てはイメージの型である】
でね。
この流れでわかったものっていうのはねー。
なんていうか、ぜーんぶイメージの型にはめ込んだものでしかないんですよね。
このイメージの型を否定しているわけじゃないんです。
ここがややこしいのですが、思考はすぐに、比較をして、良い悪いや、正誤の判断をしちゃいますからねー。
イメージは嘘で間違いだ。そうじゃない真理がどこかにあるんだ!
ってやっちゃうんですよね。
そうじゃなくて、イメージの型は良いも悪いもなく、ただただイメージの型なんです。
イメージの世界を作り上げてそれを共有するのは、人のたしなみなんです。
だからそれでいいんです。
そして、そのイメージの世界の中だけで、何が正しくて何が間違いなのか?を探求しているだけなんですよね。
【正しさも間違いもない】
イメージの世界の中だけで、正しさと間違いがあるんです。
あるとはいっても、イメージですから、無いといえば無いんですけどねー。
つまり、イメージ=思考の外では、正しさや間違いも無いんです。
ここにあるのは、「あるがまま」だけなんですね。
よくね。
自分が考えていることと、他の人が考えていることは違う。
そして、自分の記憶と他人の記憶はちがう。
自分の記憶はオリジナルとして、自分だけにある。
だから「私」は存在するじゃないか!
ってね。
そんなふうに疑問に感じる方も多いと思います。
これもね。
全部、比較や正誤の考えの型にすぎないんですよね。
考えると確かにあるように感じますけど、ぜーんぶ空想とおなじたぐいなんです。
ただ、僕らはこの空想に依存しすぎてしまっているので、なかなかこの依存を抜けられないでいるだけなんです。
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