【はじめに】
ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
みなさーん。
最近、納得してますかー?
うーん。納得できんっ!
なんてこともあるでしょうねー。
この納得ってね。
何かがスコーンッ!ってわかった時に起こるじゃないですか。
だから、僕らはあれこれとわかろうとするわけなんですよね。
じゃあこの納得した!という時って、
何が起こってるかわかります??
探求の終わりっていうのもねー。
この納得と同じ感覚なんですが、
ただし、最上級の納得!っていう感じなんですよね。
だからもう、疑問の余地がなくなっちゃうんです。
【納得した時に何が起こるのか】
納得した時ってねー。
なんていうか、スッキリしますよね!
そっかー!そういうことかー!
あースッキリした!
ってな感じでね。
体から力が抜けて、晴れやかになります。
頭もスッキリするけど、体の方もスッキリするんですよね。
逆に納得してない時というのは、
どうにも、モヤモヤするじゃないですか。
そして、モヤモヤしながらも、
こうなのか?それともあーなのか?
ってねー。
考えちゃいますもんね。
そうやって考えている時って、それなりのエネルギーを費やしているんです。
探求度合いが大きいほど、強くエネルギーを費やしております。
エネルギーっていうと、ちょっと抽象的な感じがしてわかりにくいかもしれませんね。
このエネルギーというのは、ものを持ち上げる時に体にグッと力を入れる。
歩く時に体に多めの血流を流して、手足を動かす。
と言ったようなことと同じなんです。
歩くのエネルギーを強くしていくと早歩きになり、そして走るになりますよね。
そんな感じです。
納得した時というのは、このエネルギーを費やすことから解放されるんですよね。
だから、頭だけじゃなく、体の方もまたスッキリとするわけです。
【探求のエネルギー】
ただ、一つのことを納得してスッキリしたからと言って、
やっぱり次から次へと僕らは頭を働かせます。
そして、そのイメージの世界へと引き込まれていくんですよね。
そして、まるでこの世界の全てが、頭の中のイメージの通りであるかのように錯覚しているんです。
まるで、時間があって、国があって、あらゆるものやあらゆる動物がいて、と言った具合です。
これらはぜーんぶ、「私」というものを起点に始まるストーリーなんですねー。
そして、このストーリーに、ぼくらは強く執着しているんです。
この執着のいわゆる粘着力?みたいなもの。
これが探求のエネルギーなんですよね。
一見、このストーリーを手放すんだ!思考を手放すんだ!ってねー。
思っちゃいますけどそうじゃないんです。
そのストーリーへの粘着力みたいなもの。それが、気づきによってなくなっていくというわけでして、粘着力がなくても、普通にストーリーや思考は怒り続けるんですよね。
一見、ちゃんと自分が考えて選択していかないとどうしようもないじゃん!
って思っちゃいますよね。
だから、あれこれ知っておこうとしますし、自分をよりよくしておかなきゃならないって思っちゃいます。
この奥には、恐怖心みたいなものも見え隠れしているんですよね。
この恐怖も相まって、粘着が生まれるんです。
・探求の終わり
なので探求の終わりって言ったって、別に思考がなくなるわけではありません。
まー、実際には思考なんて存在していないわけですので、なくなるわけじゃないって言ったって、よくわからなくて混乱しちゃうかもしれませんが、
ま、働きとしては何も変わりません。
ただ、何がなんでも思考のストーリーで解決してやる!っていうね。
この執着心がなくなるわけなんですよねー。
だって、ストーリーの中心にある自分ってね。概念なんだもん。
そして、それ以上でもそれ以下でもないんだもん。
ってなもんです。
あらゆるものは自分があってこそ成り立ってますので、その土台が崩れたら、
あ!もう全部ないじゃん!
ってことなんですよねー。
そして、全部ないは、同時に全部ある!何も失わない!ってことでもあるんですけどね。
この辺はちょっと言葉の限界を超えております。
ただ、なにかを思考で理解して納得するということじゃないんです。
納得しなくてもいいという納得なんですよねー。
だから、この気づきって最初は全ての毛穴から、プシューって力が抜けるくらいにスッキリしちゃったりもします。
でもちゃんと、適切な時に思考は思考として起こってくれるんですよね。
その思考はもう敵ではなくなるんです。
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