Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全てが可愛いあるがまま

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はじめに

はーい。
おはようございます。
タクさんです。

まー僕らは、うまく行ってないこと、嫌なことを探すのって得意なんですよねー。

だから、その気になったなら、
まだあれがうまく行ってない。
これもうまく行ってない。
何もかもうまくいってるけど、今後のことが心配。
老後が心配。
死ぬのが心配。
死んだ後が心配。

とねー。
もうキリがないんですよ。

そんなん、なんぼでも作り出せるでー!
ってなもんです。

でねー。
この嫌なこと探しっていうのは、ハマりやすいんですが、
これにハマってると、全然前に進めなくなったりもするんですよねー。

もちろん、できることは手を打っておく。
これは大事ですのでね。

嫌なこと探しは悪いことばかりじゃありません。

だから、
これは、なんとかできそうだ!というものだけ話を聞いてやりゃいいんですよ。
どうしようもないことを、どうしようもないよー!って言ったところで、
やっぱりどうしようもないですからね。

ま、これは、本当にどうしようもないわけじゃないんですけどね。
自分がどうしようもない!と決めたことを、再度引っ張り出して、
うん。やっぱりどうしようもない!と確かめてるというわけです。

実は、あらゆる心の痛みって、自らすり寄っているんですよね。
そして、すり寄っておいて、向こうから降りかかってきてるって思ってたりするんです。

キャー!って言いながら、目を手で覆いつつ、指の間からしっかり見る!
っていう、あれと一緒なんですよね。

 

嫌な自分を変えたいなら、それを受け入れる!

誰しも、嫌な自分というものがあると思います。
だからこそ、なんとかしたい!と願うわけですし、なんともならないことに苦悩するわけですからねー。
ですが、じゃあどうしたらいいのか?というと、
まずは、自分の嫌な部分を受け入れるということ。
これが最初の一歩なんですよねー。

嫌な自分を嫌なまま受け入れてあげる!という感じです。

無理やり、嫌を良いに変換するということじゃなく、
変に自分を慰めるということでもありません。

まずは、嫌な自分がいる。それはそれで良いじゃないか!
と受け入れてあげるんです。

そんな自分もあって良し!ということです。

「嫌だ嫌だ」は、「嫌だ」のノリを継続する

そんな自分もあって良し!ということが受け入れられてくるとねー。
今までは、嫌だ嫌だという流れだったのが、良し!良し!という流れに変わってくるんですよね。
そして、できることが見えてくるんです。
嫌だ!を出発点にしてると、次々と、あれも嫌、これも嫌。が出てきて、
全然進まなかったりするわけですが、
この出発点が、「嫌」から「良し」に変わることで、
これも良し!あれも良し!と変わってくるんですよね。

これは、くれぐれも、ダメな自分を良いことにしてなぐさめるということではありません。

ダメならダメなんだ!とちゃんとダメなことを受け入れるということです。
それなら、それで良し!ということでね。

すると、今、できることが見えてくるんです。

できることはやれば良いし、できないことはできないで良し!ってなってくるんです。
すると、徐々に流れが通っていくんですよねー。

僕らの心の奥には、自分が一番嫌な自分が鎮座している

大体、僕らの心の奥には、自分の中で一番嫌な自分というものが鎮座しておるもんです。
もし、自分がこんなやつだったら最悪だなー!ってやつが、もれなく鎮座しておったりします。それは、隠したいから、いろんなヴェールでおおわれています。

まさに、大事なお宝を厳重に保管するかのように、隠されているんですよねー。

なので、まあ、自分の心が開放されていく過程で、いつかはこの、いやーな自分と対峙する時がくるんですよねー。

ここで、そいつを可愛いと思えるか?ここが勝負どころなんです。
それがない限り、嫌な自分の投影をずっと見続けることになるんですよねー。

自分を可愛がるとは、そういうことでもあるんですよね。

自分の一番嫌いな部分。これって実は可愛いんです。
この可愛さを認めてやることです。
すると、投影される世界もまた、変わってくるんですよねー。

そのうち、投影される世界に依存しなくても良くなります。

すると、全てが可愛いあるがままだということが、あらわになってくるんですよね!

 

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