Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自燈明で生きる幸せ

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はじめに

はい!
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

まー、僕はねー。
こないだ、昇降式の机を買ったんですよ。

家でずーっと座りながら仕事をしておりますのでね。
たまには、立たないと!
ということでねー、導入したんですが、
まー、ほとんど座っております。

いやー。いけませんな。
もうちょっと、立ちモードも活用してあげないとね。

はい。
というわけで、今日は、ついついこだわっちゃう概念。
この概念について書いてみたいと思います。

 

概念とはルールのことである

時間も概念。
歴史も概念。
国も概念。
そして、文化もまた一つの概念です。

僕らは、あらゆるものを概念化し、その概念を理解してきました。

ちなみにこの、概念とは何か?といいますと、
それは、簡単にいうとルール化のことです。
ルールとは共有されることによって初めて効力を発揮するモノでもあります。

この概念を共有することによって僕らは、同じルールに基づいたイメージの中の世界を共有できるというわけですな。

僕らはこの概念を教わっていろいろと知ってきたわけです。

もし、ルールを知らずに、プレイを始めると、
大失敗することもありますからね。

投資や投機のルール。
この投資と投機の違いをよく理解しておかないと、
えらい目にあったりするのも、ルールを知らずに飛び込んじゃうからです。

ゲームをするのにも、操作方法や、このゲームの世界観をあらかじめ理解しますよね。
それも、ルールを知ることでより深く楽しめるからです。

なので、なるべくたくさんの概念を理解しておこうとするわけです。

概念化のクセ

ちょっと話が変わりますけどね。
「私がいない」ということについては、いつもものすごくたくさんの質問をいただくんですよ。

「これこれこういう場合でも、私はいないって言えるんですか??」
というのが、基本的なパターンなんですけどね。

これもねー。

言い換えると、
私がいないをどうやれば、ちゃんと納得のいく概念化ができるのか?
っていう質問なんですよね。

まあ、概念化することはできるっちゃ、できるんですが、それだと結局のところ、実際に感じられる「私はいない」とは全然違う単なる知識にしかなりません。

そして、知識として得た「私はいない」は、私はいないというストーリーに過ぎないんですよね。

なので、これは実際に感じてみるしかないんです。
「私はいない」とは、どんな感じかと言いますと、生きている!まさに生の感覚なんです。ダイレクトに生を感じるということなんですねー。

自燈明で生きる幸せ

このダイレクトさとは、ナマの生の生き生きとした躍動なんです。
生ばっかりでややこしいですが、
ハートがカッカしてるんですよね。
じわんじわんしてる時もありますけど。

まさに元気そのものなんです。

そのハートに灯る明かり。
これが命のともしびであり、このともしびと共に在ること。
これぞまさに自燈明なんです。

「生きてる!」をルールに当てはめる必要はない

概念というのは、枠なんです。
枠にはめる。これがルール化なんです。
ルール化はたしかに便利な側面もあるんですが、
なにも、僕らの生きている!この命を縛るものではありませんからねー。
また、概念というルール化は、あくまでも便利に使うモノであり、
悩んだり不安になったりするもんじゃないんですよ。

それで、生きている!が阻害されるのって、なんかもったいないよねー。
って話なんです。

概念化して理解しようとする学問ではないんですよね。

僕らは幸せを求めています。
その幸せっていうのは、この命の躍動そのものなんです。

うはー!生きている!
この感覚こそが幸せなんですよね。条件を伴わない幸せ。
まさに至福なんです。

だったら、この躍動の邪魔をしなきゃ、もう幸せになれちゃんです。
いつだって、幸せはココにあったんですねー。

 

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