Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

水に形はない、だからいろんな形になれる

f:id:takuteto:20210203183344j:plain

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ところで皆さん。
遊んでますか?

遊んでる場合じゃないよー!
そんな暇はないよー!

なんて方も多いかもしれませんねー。

でも、僕らの本文は遊ぶことですからね。
子供だけが遊ぶんじゃないですよ。

子供が遊んでいるのなら、大人はもっと遊ばなきゃならんのです。

ここを勘違いしちゃうと、人生の本文を見失っちゃいますからねー。

だから、どんなことにも遊び心が大切なんです。
それが仕事だとしてもね。
その仕事の中に遊び心をふんだんに入れ込んで遊びにしちゃうんです。

生きてること自体を遊びにしちゃうくらいに極まったなら、
もう、サイコーですよね。

さあ、今日は何を遊びにしてやろうか?
ここは、遊び心が問われることですからねー。

どうぞ、遊び心を高めてやってくださいね。

 

水に形はない、だからいろんな形になれる

さてさて、
水って形がないですよね。
だからこそ、いろんな器に入れられるわけです。
四角い器にも入れられますし、
まるーい器にも入れられるわけです。
ですが、それは水がその形を作っているわけではありません。

どんな器に入れようが、水には形がないんです。
そして、形がないからこそ、どんな形にもなれちゃうんですねー。

形がないから、どんな形にでもなれる!

ここがミソなんです。

何でもないものが あらゆるものである

「何でもないものが あらゆるものである」
これはねー、トニーパーソンズさんという先生の本のタイトルでございます。

 

何でもないものが あらゆるものである

何でもないものが あらゆるものである

 

 


形がないからどんな形にでもなれる。
そして、僕らが見ているあらゆるもの。これも形作られているように見えて、実は何でもないものなんですね。
まさに水のようなものなんですが、水以上に何でもないものなんですねー。

でね。
この何でもないものは、思考で作られたあらゆる器に入り込むわけです。
だから、あらゆるものにでもなるわけですねー。

ただ、面白いのが、思考の器も実体のない「なんでもないもの」だったりするんですけどね。

この辺が、全ては幻想である。なーんて言われちゃってる所以でもあるんですよね。

これって、言い換えると
何でもないものは思考によって実体化されているとも言えるわけです。
ま、実体というのは、思考によるものの見方であって、実体はないんですけどねー。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!