Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ストーリーと時間という概念

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はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

私はいないという話と同様に、
よく聞かれる質問が、時間がないというお話しです。

逆にいうと、時間があるなら、見せてよ。
ってことなんですけどねー。

「ああ、時が見える。。。。」
ってねぇ。
ララァさんはおっしゃってますが、ララァさんじゃない僕らは、
時を見たことなんてないんですよね。

まあ、とは言えね。
時間がないのなら、お前は遅刻をしないのかー!
と言われれば、
そりゃーするがな!
って話なんですけどね。

というわけで、今日はこの時間がないという話について書いてみたいと思います。

 

時間がないというのは概念ではない

これね。
私はいないという話と同様でね。

私はいないという概念を、ストーリー上に持ち込んでも意味はないってことになるんです。
つまり、私はいないのが正解だというわけじゃありません。

私というのは、概念だということです。

私はいないというのも、ストーリー上に持ってくるなら、一つの概念に成り下りますのでね。
そういうことじゃないんですよね。

そもそも、正解も間違いもありませんし、有るも無いもありません。
これが有るのは、思い込みの中だけであり、思い込みのイメージの全ては、
どこにも存在していないんですよね。

ストーリー

思い込み、思考というのは、ストーリー化されて初めて認識されます。
ストーリー化というのは、言葉による物語です。

考え、思い込みは言葉で仕上げをしないと、認識されないんですよね。

ですが、この言葉というのも、突き詰めれば、単なる音に過ぎません。
言葉だけを単純に聞いたとしても、それはカラスの鳴き声と何ら変わりはありません。

だから、言葉にされたストーリーは、頭の中で意味が与えられ映像化されるんです。
また、目の前に見える何でも無い風景も言葉によってレッテルづけされ、意味が与えられるんですよね。

本来、意味というものは無いんですが、それをあるということにしちゃうわけです。
それがストーリーです。

大前提となる概念

このストーリーの根幹にある大前提となる概念。
それが、主体である「私」という概念であり、時間という概念なんですよね。

これが無いとストーリーは成り立たないんです。

だから、ストーリーの中で私という概念と、時間という概念は不可欠なんです。
僕らは、この概念を真っ先に叩き込まれてきたんです。

だから、ストーリーという夢の中で時間がないということは理解されにくいんです。
ストーリーには、絶対的に「私」と「時間」という概念が必要なんです。

時間は単位

ですが、ストーリー自体が実在するものじゃありませんからね〜。
時間は、あらわれては消える変化を捉えるため、レッテルを貼るために使う単位に過ぎません。
単位というものは実在するものじゃなく、目で見えるものでもなく、単なるルールです。
これは、鬼ごっこのルールと同じ類のものなんです。
時間という何かしらの燃料があって、その燃料によってあらゆるものが動いているわけじゃありません。
地球がくるくる回るのに、時間というエネルギーを必要としているわけではありません。

時間が減ってくると、僕らの動きが悪くなり、時間がなくなると僕らが止まっちゃうわけではありません。

変化は時間に依存してないんですよね。
なぜなら、そもそも時間なんんてモノは存在していないからです。

単に、変化をうまく思考上のストーリーに当てはめるために便宜上使われている単位に過ぎないんです。

時間はストーリーの中だけのルール

ま、とはいえ、ストーリーでは時間というルールを使わない限り始まりません。
そして僕らはストーリーを共有して社会を構築しています。
だから、ストーリー上では時間というルールは採用されます。
このルールはストーリーの上では根幹のルールだからです。
ただ、ストーリーはあくまでもストーリーに過ぎないと見抜かれることは、
ストーリーから不要な深刻さを取り除いてくれるんですよね。

ストーリーは真剣に遊ぶモノで、深刻に取り組まなくても良いことを知るんです。

この見抜きが、僕らをなんていうか不自然なストーリーから目覚めさせてくれて、
自然な生き物らしいみずみずしさ、新しさを再確認させてくれるんです。

  

takuteto.hatenablog.com

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