Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この世には誰もいないというお話し

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はじめに

はーい。

後ろの正面だーあれ?
がめっちゃ怖いタクさんです。

なんやねん!後ろの正面っって。
回りくどい言い方すなっ!って話なんですよ。
怖いねんっ!

みなさんは、どんなホラーな毎日をお過ごしでしょうか?
どうもおはようございます。

ちなみにねぇ。
お化けとか幽霊を怖がる文化ってね。

言うこと聞かない子供に対して、
「ちゃんと言うこと聞かなきゃ、お化けが出るよ!」
ってね。
そういうしつけがお化け文化を作り出したんとちゃうやろか?
なんてねー。
思うわけです。

良いですか!
みんなお化けが怖いのは子供の頃のしつけが原因かもしれませんよー!

はい。
と言うわけでしてね。

後ろの正面だあれ?
じゃないですけどね。

僕らは、何に対しても、それは誰がやってるの?
という妙なこだわりを持っていますよねぇ。

コレは誰がいったの?
これは誰がみたの?

みたいなね。

この誰が?とついつい考えちゃうということ。
これをテーマに書いてみたいと思います。

 

私は考える 故に私は存在する

私は考える 故に私は存在する

みたいなね。
哲学的な言い回しがあるじゃないですか。
一見、ものすごく説得力があるように見えますよね。

でも、別に考えるからといって、それが私は存在するという証明には一切なってないんですよ。

こんなこと言ったら、不思議に思うかもしれませんけど、
実は、不思議なのは、何かしらのことには全て主体者がいると思い込んでいること。
実はそっちの方が不思議なんですよねー。

主体者はいない

まーそれもまた、ストーリーを真実だとする錯覚があって、真実を作るにはストーリーを作らなきゃならない。
っていうねー、そんな思い込みがあるからなんです。
そして、ストーリーには必ず主体と客体。
つまり主人公とその他が必要になってくるんです。
そしてね、
ストーリーの大前提も必要になってくるんですよね。

例えば、
ドジで目立たない私がある日交通事故で死んじゃって、
生まれ変わったらなぜかその世界はファンタジーな魔法の世界。
そして私はなぜかその世界では大魔法使いになっちゃった!

みたいなね。
そんな前提と、私と言う存在。
これがストーリーには不可欠なんですよね。
だから、何かことが起こるなら、そこには主体者がいるはず。
ってねー、思ってしまうんですよね。

思考の仕組み

これは、単に思ってるだけであって、思考の仕組みなんです。
思考はそういう仕組みによってストーリーを作り上げ、
それを真実だと捉える仕組みになっているんです。

この思考の働きは、まるで自分ごとのように感じますが、
それは単に思考の働きに過ぎないんですよ。

思考の中に真実はありませんし、
そして、思考の外にも真実なんてありません。

真実とは、思考の中にある概念的なものでしかないんですよね。

誰もみていないし、誰も聞いていない

あなたに見えている世界。
これは誰がみているのか?
今聞こえている音。
それは誰が聞いているのか?

実は、誰もみていないし、聞いていないんですよね。

見えている。聞こえている。
これがダイレクトにあるだけなんです。

そして、このダイレクトさを知る時、
僕らは、自分を縛っていたあらゆる鎖から解放されるんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com

 

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