Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ひとりキン消し遊びと瞑想のはなし

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はじめに

はい。
おはようございます。

みなさんは、キン消し遊びをしましたか?
僕はしました。

お気に入りのキン消しはザ・ニンジャです。

キン消し遊びとは何かというと、両手にキン消しを持ち、
ブシュー、バシュー、トアー、
と言いながら、
両手のキン消しを戦わせるという高度な遊びです。

この遊びを楽しむためには、両手のキン消しを本物の超人に見立てて、
ストーリーにどっぷり入り込む必要があります。

キン消し遊びは、基本プロレスルールになりますので、
時にアナウンサー役もこなさなければなりません。

ひとり超人オリンピックをやる場合は、トーナメント対戦の組み合わせなども
全てひとりで運営し、そしてどっぷりとストーリーに入り込むという、
とても知的な遊びなんです。

 

キン消し遊び

さてさて、このキン消し遊びですが、やはりお気に入りの超人は、
利き腕の右手に持つことになります。
そして、お気に入りであればあるほど、右手の超人への感情移入も強くなるわけですね。
そんな時、左手の超人が強敵(※トモとも読む)であればあるほど、脅威に担ってくるわけですねー。

ザ・ニンジャの場合の強敵は、ブロッケンジュニアやサタンクロスになるというわけです。

ひとり超人オリンピックの初戦で、サタンクロスに当たったりすると、
「なんてついてないんだー!」と嘆くこともしばしばです。

そして、なんとかザ・ニンジャがかつシナリオを導き出さなきゃならなくなるわけです。

思考のストーリーも全く同じ構造

はい。
すいません。少し置いてけぼりになってる方もおられるかと思いますので、
僕の脳内妄想遊びの紹介はこれくらいにしておきますが、
僕らの頭の中の思考ストーリーもまた、この脳内妄想遊びと全く同じ構造で行われているんです。
思考のストーリーは全て自分の中で紡がれるものですが、その一部を「私」と見立てるんですよね。
そこで、「私」という概念が生まれるわけです。
僕らが「自分」だと思っている「私」は、ストーリーの中の一部に過ぎません。
そして、ストーリーは脳内妄想遊びと全く同じ構造で起こっているので、
ストーリーの一部の「私」はこのストーリーが起こっている間しか存在していないんですよね。

パワーの源泉

そして、この思考のストーリーにハマればハマるほど、そのストーリーにエネルギーが注入されます。
僕らが自分の外側の世界に対して、とても大きな力を感じる場合、
運命のパワーに倒されそうになっている時、このパワーの源泉はどこにあるのか?
というと、実はそのパワーは自分自身のパワーなんですよね。

つまり、思考のストーリーにハマるというのは、自分のエネルギーを思考にどんどん注入するということなんです。
思考のストーリーに感じるパワーは元々あなた自身のパワーなんですが、そのパワーを思考に注入して、そのパワーを自分で見ているんです。
そして、そのパワーにくじけそうになったり、不安を覚えたり、自分の足りなさに嘆いたりしちゃうわけですねー。

一旦停止

思考のストーリーは、反応のようなものなので、勝手に起こってきます。
そして雪だるましきに膨れ上がってくるんです。
このストーリーをコントロールすることはできませんが、一旦停止させることはできます。

ひとりキン消し遊びの場合はね。
おかんの「ほら!ごはんやでー!」という声で中断させられてしまうわけですが、
キン消し遊びじゃない、思考のストーリーも一旦停止させるものがあります。

それが瞑想です。
瞑想とは、何でもない中にただあってみるという試みです。
別に目を閉じて座るという行為だけが瞑想なのではありません。
別に歩いていても、ただ景色を見ていてもそれは起こります。
かなたから、何かがやってくるということじゃなく、
やっていることを止めることで、今ここにある全てがあるがままによみがえる。
という感じでしょうかねー。

僕らは自分のパワーによって、ついつい自分を傷つけているんですよね。
それを一旦停止させることによって、とってもストレス軽減になったり、
心身のリフレッシュになったりするわけです。

 

takuteto.hatenablog.com

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