Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

感情をかわいく見守ってあげる

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はじめに

らっしゃっせーい!
おはようございます。
タクさんです。

キン肉マンっていう漫画がねー。
僕が小学生の頃には大人気だったわけなんですが、
この続編がね。
今連載されているんですよね。

懐かしいなーと思いつつ、
ダウンロードして読んでみたりしてるんですけどね。

あの世界観って、世界征服とか、敵の侵略なんかを
すべてプロレスの試合で方を付けるっていう暗黙のルールがあるんですよねー。

で、プロレスの試合が始まるわけですが、
まあ、大体は最初優勢に責めている方が負ける。
というパターンになっているんですけどね。

たまーに大番狂わせがあって面白いわけです。

でね。
プロレスの試合なので、試合中はアナウンサーと解説者が、
ずーっと喋ってるんですよねー。

それをみてて、
そういえば、子供の頃、キン消し遊びをしてた時も、
ずっと自分でアナウンスをしながら遊んでいたなー。
なんてことを思い出しました。

「おーっと!これは効いたー!流石に立てないか???」
「いや!立った!!なんと立ちました!ロビンマスク!!!」

とかゆーてねー。

これって、なかなかのマヌケな図ですよね。

でも、このおマヌケなことを、
実は大人になった今でもやっていたのだとしたらどうでしょう??

というわけで、今日はおマヌケナレーションについて書いてみたいと思います。

 

おマヌケだけど、愛すべき存在

僕らの頭の中のストーリーってね。
まさにいろんな状態を作り上げてそれにナレーションをつけているというのと、
同じようなことなんですよねー。
そして、自分のナレーションを一番近くで聞くのもまた自分なんです。
実は僕らが不安に思ったりしていることって、自分で作ったナレーションに対してだったりすることもよくあるんですよね。
これって、キン消し人形で遊びながらアナウンスをしているのと構造的には一緒なんです。
そう考えると、ちょっとおマヌケだけど、愛すべき存在ですよね。
僕らって。

不安になるくせを愛する

僕らは、このちょっとお茶目なストーリーを深刻なものに置き換えることで、
その深刻さが不安を演出するわけなんです。
でも、このクセって治そうとしたところで治らないんです。

ま、厳密にいうと治るんですけど、治そうとしたらダメなんですよね。

でも、このクセを愛することはできるんです。

でも、そんなの愛することできなーい。
って思いますよねー。
なので、そのコツをちょっとお伝えします。

自分の行動にナレーションをつけてみる

それはね。
自分が思っていることや自分の行動にナレーションをつけて遊んでみる。
ということです。

普段は無意識にやってることなんですけどね。それを遊ぶ。
つまり、意識的にしてみるんです。
しかも、よりダイナミックに、より面白おかしくナレーションをしてみるんです!

「おーっと!ここで、タクさん。どうやら怒っているようです!」
「何があったんでしょう???」
「うーん。どうやら仕事がやり直しになったことで怒っているようですねぇ。
これは結構なプンプン度合いだー!」

みたいな感じですかね。

おマヌケにやればやるほど、ちょっと笑えてくるかもしれません。
そうすると、あれこれと移り変わる思いや感情もカワイイもんだということに気づくかもしれません。

だって僕らの人生の本質ってね。おマヌケで可愛いものですからねー。

思いや感情は「私」ではありません。

思いや感情で作られるストーリーの登場人物が「私」なんです。

だから、「私」じゃない思いや感情に責任を持たなくてもいいんです。
それよりも、可愛く見守ってあげたらいいんです。

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