ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
僕らのクセとしてね。
いま、自分がどういう状態にあるのか?
ここを気にしちゃうクセがあるんですよねー。
この状態が、安全なのか?大丈夫なのか?
そもそも、どういう状態なのか?
みたいなね。
そういうことを常に把握したがるんです。
朝起きた時なんか、よくわかると思います。
今日は何曜日?今は何時?今日の予定は?
ってね。
すぐに確かめますもんね。
前の晩、飲み過ぎて、朝起きたら見知らぬ天井だったとしたら、
ちょっと焦りますもんねぇ。
この焦りも、状態へのこだわりがもたらす働きです。
そして、常に状態をチェックするわけですが、
この状態がよくない状態だと直そうとするわけです。
そして、うまく軌道修正できれば、それでいいんですけど、
ここがうまくいかない場合、ついつい焦っちゃうんですよねー。
でもうまくいっていないという思い。
これが多くは勘違いだったりもするんですよね。
心の状態へのこだわり
僕らは、常に心の状態を安定させたいって望んでいます。
僕らが感じる苦痛というのは、この心の安定感がおびやかされている時に感じるんです。
じゃあね。
この心の状態っていうのは、なんなの?といいますと、
一つは体の感覚であり、そしてもう一つは思考なんです。
実は心という独立した機関は存在していません。
思考の種類と体の感覚。これらが常にキャッチボールをしているわけですけどね。
この思考と体の感覚のキャッチボールの状態を僕らは心の状態だと感じているわけです。
この状態をねー。僕らは常に良い状態でありたいと願っているんですよね。
そして、薄々、これを良い状態にすることは考え方に依存するということを知っているんです。
だから、どう考えれば良いのか?その答えをずっと探し求めちゃうんです。
僕らの探究は、「どう考えれば良いのか?」
ということを探し続ける旅とも言えるのかもしれませんね。
考え方のまな板の上に「私はいない」を持ってきても意味はない
ま、そんなわけでね。
どう考えれば良いのか?
どう在れば良いのか?
といった、探究を続けている過程で、「私はいない」というメッセージにたどり着いた方も多いと思うんですよ。
ちなみに、考えというのはすべて、「私ありき」で起こってる働きです。
考えというのはあらゆる世界観を作り出すわけですが、この世界観の中心には必ず「私」がいるわけなんです。
そんな世界観の中で、「どう考えれば良いのか?」という問いの答えを探し求めていた過程でね。
「私はいない」というメッセージを聞いた時には、
やっぱり、「私はいない」をこの世界観に当てはめようとしてしまうんですねー。
この「私はいない」のメッセージは、こうやって作り出している世界観の全てがイメージに過ぎない。ということを言っているわけなんです。
世界観とは「私」を中心におこっているわけですが、これってイメージにすぎないんですよ!
というメッセージなんです。
だから、この世界観の中に、「私はいない」を持ってくるのはもうナンセンスなんですよね。
これをもってくるから、
「私はいない」のになぜこんなことになってるの??
という問いにぶつかっちゃうわけです。
思いは「自分」がコントロールしているわけじゃない
まあ、それもこれも心の状態にこだわりすぎるあまりに起こってくる衝動なんです。
ぼくらって、よくよく考えると心の状態、つまり体の反応や思考をコントロールしたことなんてないんです。
そもそも、コントロールなんてできないんです。
できるというのは思い込みなんです。
もし、思いをコントロールできるのであれば、悩みなんて存在するはずがないんです。
できないものをできると思ってるから悩んじゃうわけですねー。
だからね。
もう、
「知らんがな」
っていう話なんですよ。
「なんで蛍ってすぐに死んでしまうん?」
って言いますけど、蛍は、蛍以前にヤゴとして水中の王者として君臨しておったんですよ。
ウスバカゲロウはなぜそんなにすぐ死んでしまうのん?
って言いますけど、
カゲロウ以前に、アリジゴクとして、君臨していたんです。
はい。ちょっと話が全然違う方向にとっ散らかってきましたけど、何が言いたいのかというと、
思いは「自分」がコントロールしているわけじゃないんです。
そもそも「自分」という概念すら思いの一部なんです。
だから、思いは思いさんの都合で好きにさせてあげたら良いんですよね。
もう、こっちとしては、
「へぇー。そんな思いを感じているんだね。ありがとね!」
って言ってあげるくらいしかできることってないんですよね。
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