Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

出来なくてもやって良い!

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へいっ!
おはようございます!
タクさんです。

みなさん、今日も面白おかしく生きてらっしゃいますでしょうか?

こないだねー。
車の免許の更新があったんでいってきたんですけどね。
あれって、4年ごとでしたっけ?
毎回、写真で失敗したー!って思うのと、古い免許証と比べて、

「わしも、経たねぇ〜。。。」

って思ったりもするんですが、
今回ばかりは、4年前の写真とほぼ変わってないやんっ!
って思って、少しばかり安心しました。

ちょっと太ったけどね。

太ったけどね、、、、。

ね。。。。。

ま、幾つになっても面白おかしく生きていたいものですよね。

さてさて、
毎日、毎秒、毎瞬、
面白おかしくあれたら良いんですけど、
そうもいかんでー!って思ってる方もおられるかもしれません。

いや、
ホントーに、毎瞬、面白おかしくあって良いんですよね。
それを規制しているものはありませんので。

でも、「そうはいかんでー!」って思ったりもする要因の一つとしてね。

何かをやるには出来なければならない。

みたいなね。
そんな思い込みがあるのかもしれないなー。
なんて思いましたので、
今日はこの辺について書いてみたいと思います。

 

何かをやるには、
出来なければならない。

当然じゃん。
って思うかもしれませんが、
何かをやることと、出来ること。
これ、関係ないんですよ。

このやることと出来ること。
これを関連づけちゃうことで、
やりたいことが出来ないと思い込んでるパターンって多いと思うんですよねー。

子供の時は、
うまく出来るかどうか?なんてお構いなしに嬉々として、目の前のおもちゃで遊んでたと思うんですよね。
そして、飽きたらまた次のおもちゃ!
てな感じでね。

これが大人になるに従って、やるからには出来なければならない。
とか、
出来なければやる意味がない。
とか、
さらには、何かをやるのには、資格が必要で、
その資格が自分にはあるのか?

みたいなね。
そんな思考に邪魔されちゃって、なんかやることを躊躇しちゃう。

そんなパターンがあるんですよね。

もちろん、医者をするのに資格がなくても良いのか?
とかそんな問題じゃないんですけどね。

ワタシなんかが、こんな事していいの??
僕なんかが、こんなこと言っちゃって大丈夫?

みたいなね。
そんな思考の邪魔ポイントです。

そんなん、したいならして良いに決まってますやんっ!
ってはなしなんですよねー。

オモロイ!をやるのに、資格が必要なわけじゃなく、
出来なきゃならないということもないんです。

この錯覚のせいで、せっかくの楽しい遊びを逃しちゃうんですよね。

これを逃し続けていると、いつの間にか、日々が色あせ
いつしか、夢中で遊んだ感覚も忘れ去り、
決まりやルールの中だけで過ごすことになっちゃうんです。

日々は実際には一切、色褪せることはありません。
これが色あせて見えるのは、決まりやルールの中だけで過ごすことによって起こる錯覚です。

色あせてしまうのは、ルールに飽きてきてるからなんですよね。

この決まりやルールの中には、単なる考え方だけじゃなく、
自分という存在。
時間という存在。といったようなあらゆる思い込みだけでなく、
あらゆる概念や観念も含まれるわけです。

つまり、「自分」というのも「時間」というのも、
仮想世界で作られたルールのようなものに過ぎないということなんです。

このことをルールの中で理解するのは不可能ですが、
自分がルールを採用していたことは見抜くことが出来るんですよねん♪

 

takuteto.hatenablog.com

 

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