Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【非二元・悟りの読み方】静寂や行間に心軽やかに佇むこと

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ほい。
おはようございます。
ビックリマンチョコを食べすぎて、
やや胃がもたれ気味のタクさんです。

ま、いまさらビックリマンにハマってる!
ってわけじゃないんですけどね。

あれのガンダムバージョンが売ってたんで大人買いをしたんです。
ま、好きなキャラクターである「シャア」が出たらやめようと思ってたんですが、
これがなかなか出ないので、大人買いを繰り返す羽目になっております。

皆さん、
ステキなチョコウエハースライフをお過ごしでしょうか?

さてさて、
普通ね。

こういった書物(かきもの)といったものは、
その中に言い分があるものですよね。
テーマと言ってもいいし、「説」と言っても良いかもしれません。

でもこの非二元や悟りの話しに限っては、「説」を主張してるわけじゃなかったりするのでね〜。

それよりは、今までせっせと仕入れてきたあらゆる「説」は、幻想なのかもしれないよ。
という話しですのでね〜。

この辺が、こういった話しを読む時に注意すべき点なのかもしれません。

全ては幻想!ワタシはいない!いまここしかない!を唱えているわけでもない。
というのが、少しややこしい点でもあります。

このブログなんかでも読んでいて、よくわからんっていう部分もよくあると思うんですけどね。まあこれは僕の文章力によるところも大いにあるわけですが、
ま、そんな時は、あれ?何がわからないんだろう??って探ろうとするよりは、
わからないまま、その行間に佇む。

そして、
読んでいて、何か心の中のわだかまりが解けた感じがするのなら、
そんな時もまた、この解けた感覚を味わいながら、行間に佇む。

そんな感じに使っていただけたらいいなぁって思っております。

 

僕らの思考は、真実に通じる「説」があるに違いない。
その「説」はすべての人に通じるものであるはずだ。

という思い込みがあったりするんです。

だから、より真理に近い「説」を求めたりもするわけでして、
その真理へと辿り着こうとしちゃうわけなんです。

そしてこの感覚を持っていると、起こっていること、この世界もまた、
どこかに向かっているような錯覚を生み出すんです。

そもそも、起こっていることも、目の前の真実も、
何処かに向かっているわけではありません。

どこへも向かっていないんです。

なにも、どこにも向かっていない。
これが真実なわけでして、
そして、このことはあらゆる「説」も通用しないということになります。

なぜなら「説」はどこかへ向かうためのもの。その道標のようなものですからね〜。

真実へと誘う「説」っていうのは、そもそも無いんです。
あるのは、何も、どこにも向かってないという事実だけなんですよね。

思考の感覚からすると、それはとっても不安定に感じたりするものですが、
この思考の感覚から自由になると、それは絶対的な許しとなり、安心となるわけです。

なので、こういった文章を読む目的。
ま、あえて「目的」という言葉を使いますが、
それは、心軽やかに行間に佇むことです。

なので、こういったお話は、そのために使えば良いんです。

人によって、心が軽くなるワード、トリガーは違います。

なので、すべての人に通じる「説」は存在しないんです。

あなたは、知らないことを知ろうとするのではなく、あくまでも自分の心の軽やかさ優先すればいいし、軽さを感じたなら、なんにもないその行間に軽やかに佇めば良いんです。

これがお話会である場合は、言葉と言葉の間の沈黙に佇んでやればいいってことになりますねー。

すると、世界は言葉によって作られているわけではないという当たり前の真実が目覚めてきてくれるんです。

どこかに向かっているという演出をしているのは言葉によるストーリーだけなんですねーん♪

 

takuteto.hatenablog.com

 

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