ほーい。
おっはようございます。
タクさんです。
みなさーん。
今日も生きてますか??
ま、この記事を見てくれているということは、
生きてますよね。
生きている。
この生きている。つまりイノチって何なんでしょう?
まーいろいろと思いつくことはあるのかもしれませんが、
やっぱりね。
これって表現なんだと思うんです。
ぴたーっ!って止まっていて、うんともすんとも言わない。
というよりは、
「動いてる。」
この動きの表現。
これこそがイノチなんじゃないでしょうか?
あらゆる働き、あらゆる表現。
これらのすべてがイノチの表現なんですよねー。
さてさて、
イノチの表現。
それはあらゆるものの働き、動きなんですよね。
僕らの体にしたって、空気が肺に送り込まれて、
肺から血液に酸素が行き渡り、
この血液は心臓のポンプにより全身に巡らされ、
胃は食べ物を消化し、
手足は電気信号によって動き、
感触は神経を通り脳に信号が送られる。
こういったあらゆる働き。
これこそがイノチだということです。
つまりね。
イノチというものは、働きであるがゆえにね。
分けられないんです。
僕らが吸っている空気だって、太陽の光を受けた植物が酸素を放出し、
それを僕らが吸い込んで、二酸化炭素を吐く。
吸い込まれた酸素は血液に溶け込み、全身にめぐりゆく。
食べたものは消化され、消化されたものは排出され、
排出されたものは自然に帰り、自然はまた形を変えて
僕らの食べ物となって帰ってくる。
こういった一連の動き。
これは、働きである以上は、分割することはできないんです。
そんな表現。
これがイノチであり、このイノチは分割しようがないんです。
すでに奏でられている音楽を分割できないのと同じなんです。
そして「自分」という概念もまた、命があってこそ起こっているイメージです。
先立つのはイノチなんですよねぇ〜。
なので、「あなた」がイノチを運営しているんじゃありません。
イノチがあなたを生きているんです。
僕らは、ついつい「自分」という概念を筆頭に、
あらゆる概念とそれらが織りなす物語を通して、この世界を理解した気になっています。
概念で作られた世界を真実としているんです。
そして、概念に先立つ。
元々のありように無意識になっているんです。
もちろん、元々のありよう。つまり命の表現があってこそ、概念で作られた世界をみることもできているわけなんですけどね。
この概念で作られた世界の騒音があまりに大きいので、元々の微細なありようは、なくなってはいないけど、とても目立たなくなっているんです。
この微細な声に耳を傾けること。
それが、イノチと一つになる。
ということなのかもしれません。
いや、もともとひとつなんですよ。
そのことをねー。微細なありように耳を傾けることで、思い出すんです。
このイノチはいまココに常にあり、表現されているんです。
僕らは今じゃないどこかに考えを巡らせることが出来るのも、
今ココにイノチが表現されているからなんだということをねー。
確かめてみることで、ずっとそうだったことが思い出されるんですよねん。
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