はじめに
はーい。
おはようございます。
タクさんです。
どんな空模様でも、いい天気!
ということでしてねー。
読んでくださっている皆さんの天気が、
どんな空模様なのかはわかりませんが、
どんな空模様でも、いい天気ですねー。
さて、
みなさん、今日も生きてらっしゃると思います。
ケンシロウ風にいうと、
お前はすでに生きている!
ということになるかと思いますが、
みなさんは、すでに生きているわけです。
「いやぁ〜。私、もう死んでるんですけど。」
という方がいらっしゃったなら、早く成仏してください。
怖いですので。
ただこれって、
あなたが生きてるんじゃないんですよね。
生きてる中で、「私」という思いがただあらわれているだけなんです。
もし、あなたが生きているのだとしたら、生きる前にあなたがいたことになりますもんねぇ。あなたが生きるをコントロールしていることになります。
いや、魂としての私がすでにいたんだ!
ってな人もおられるかもしれませんが、魂の時の考えや感覚。
これもまた、イノチの表現の一部ですので、やっぱりそれもまた、生きてる中でそういう感覚がただ起こってるだけだということになります。
そもそも魂とはなんやねん!って話なんですが、それが個別のものであるのだとしたら、それは一つの「思い」でしかありません。
思いというのは働きですので、実体のあるものではなく、やはりこれもイノチの表現であり、その表現の一部をそう呼んでいるだけなんですよねー。
僕らはこのイノチの枠から外れることはできませんし、イノチ以外の何かがあるわけでもありません。
全てはイノチの表現であり、この表現は分けることができる代物じゃないんですよね。
イノチの表現
あなたはすでにイノチの表現そのものです。
だってあなたは生きているからです。
そして、このイノチの表現こそが全てなんです。
「悟り」とはそのことへの気づきです。
ですので、すでにイノチそのものであるあなたは、
何処かへ行かなきゃならないわけではありません。
あなたは、イノチそのものであるために何かをする必要はないんですよね。
私は何もすることができないのか?
でも、そう聞くと、
「では、僕はもう何もできることがないんだ。」
「だったらもう待ってるしかないの?」
ってな思いが湧いてくるかもしれませんが、
これはそういう話ではありません。
できることがないなら待ってるしかない。
というのは単なる一つのアイデアなんですよね。
待つという選択をすればいいの?という思いなんです。
でも全ては選択によって掴み取るものではないんですよねー。
思いは常に何かを選択しようとする一つの働きです。
そして、その選択の連続でストーリーを作り上げるわけです。
イノチの表現のみずみずしさ
ストーリーには主人公が必要になってくるので、
その中心に自分という概念を作り上げるんです。
そして、ストーリーは展開させなければ終わってしまいます。
だから、ストーリーがストーリーを存続するために、選択肢を模索するんです。
そのストーリーの中心に添えられているのが自分という概念なんですが、この概念はあなた自身ではありません。
単にそういうアイデアが起こっているだけなんです。
イノチの表現そのものには、何の選択もありません。
何の選択もないということは、何の情報も、何の条件も必要としないということです。
なぜなら、選択は情報と条件に依存するものだからです。
何の情報も条件もないから、常に新しいんです。
この新しさがイノチの表現のみずみずしさなんです。
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