はーい。
おはようございます。
タクさんです。
今日は分離のエネルギーと題して書いてみて、
皆様のご機嫌を伺おうかと思っております。
ふむ。
ま、なんていうか
分離にエネルギーがあるというわけではないんですけどね。
よく、執着とかカルマとか自我ちゃんとか、色々と言いますが、
こいつらがエネルギーを持っているというわけじゃありません。
これはね。
習慣化によるクセなんです。
このクセがあたかもエネルギーを持っているように振舞っているだけでございましてねー。
なので、いわゆる観念や執着や分離による収縮したエネルギーが
強大な敵だというわけでも、克服すべきものでもないんですよね。
この子たちを敵とみると、いつまでたっても独り相撲はおわりません。
この子たちはかわいい子供のようなものとして迎え入れてあげればいいんです。
ま、そんなことを踏まえて、分離のエネルギーについてのお話を進めていきたいと思います。
思考によるストーリーは、言葉を採用せずにいると止まっちゃいますよー。
みたいなお話を僕もしていたりするんですが、
「そんなの、うまくいかんっ!」
って感じる方もおられるかともいます。
それは、どうしても言葉を採用してストーリーを展開させるというクセが残ってるからなんですよねー。
抑えても抑えてもぴょこんと跳ね上がる髪の毛のようにクセが残っているという感じです。
このクセの働きが分離のエネルギーです。
収縮したエネルギーといってもいいかもしれません。
収縮とは、なんていうか収縮するような感覚、キュッとするような感覚です。
この感覚が、
「おいっ!ぼーっとしてる場合じゃないぞ!」と分離の世界へと誘うんですよね。
この誘いの声があまりにも大きいので、ついつい分離の世界の中へと誘い込まれてしまうんです。
そして分離は、お気楽さを深刻さへと差し替えていきます。
この深刻さは思考のストーリーをリアル化し、リアル化されるストーリーに僕らは埋没しちゃうんです。
何かの本で読んだんですが、その本ではこのクセのことを、ベロクロのようなものだと表現されていました。
いわゆるマジックテープですね。
このクセはどうなくしたらいいの?って感じるかもしれません。
それについては、もう「バリバリバリッ!」って何回も剥がしてやらないことにはクセは弱まりません。
もちろん、完全に引っ付かなくなるということは無いのですが、
一度剥がしただけでも、もう新品のマジックテープのピッタリ感はかなりなくなって来ます。
完全にくっつかなくなることはありませんから、分離のエネルギーはふんわりとは残りますが、その深刻さは弱まってくるんです。
バリバリっと剥がすことは、人によっては、恐怖を感じるかもしれません。
剥がしちゃうと、リアリティは幻想だと見抜かれちゃいます。
このリアリティを失うということに恐怖を感じたりするんです。
やっぱりみんな、このストーリーの中に「自分」というものがいると思っていますので、
この「自分」は、ストーリーが現実じゃ無いと困るんですよね。
ストーリーをストーリーとして見抜かれそうになると、まるで自分が失われるといった感じの恐怖を感じたりするかもしれません。
でも大丈夫です。ここで失われるものはありません。
それどころか自分という働きのより本当の姿を知ることにより、親密になり仲良くなれるんです。
自分を不必要に責めなくなります。
「ええやん♪それで!」の気楽さが、湧き上がって来てくれるんです。
そのまんまの自分を迎え入れ許すことができるようになることで、既に許されていたことにも気づくんです。