「あれはなんだ??」
「鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ!」
「いや、鳥だ!」
というわけで、おはようございます。
タクさんです。
いやー。
にしても、アメリカのヒーローはみんなコスプレ。
だというところが、なんていうか面白いですね。
仮面ライダーは人造人間に改造されたので、
あの、虫のような仮面は実際の顔なんです。
じゃあ、なぜ仮面ってゆーてるねんっ!
ってなツッコミもありそうですが、そうなんですね。
人の姿と虫人間の姿とを変身!によって切り替えられるんです。
でもアメリカのスパイダーマンしかり、スーパーマンしかり、
あいつらは、別に変身の必要はありません。
普通の状態でも糸を出せるし、空も飛べるんです。
ただ、個人的な事情により、空を飛んだり糸を出すときには、
わざわざ着替えてるんです。
コスプレだというわけですね。
基本的には、プライバシーの保護のためにコスプレをしてごまかしているというわけなんですが、
いやいや、スパイダーマンはわかるよ。マスク被ってるし。
でも、スーパーマンは顔丸出しですやんねぇ。
それでいて、バレてないと思ってるところが、もうマヌケで可愛いですよね。
僕らってね。
「あれはなんだ!」
って思ったり言われたりすると、
特定しようとしちゃうんです。
鳥かな?飛行機かな?スーパーマンかな??
といった具合にね。
そやって、何でもかんでも特定しようとするんです。
なので、
ワンネスだの、悟りだの、解放だの、見性だの、
何でもかんでも特定しようとするんです。
しまいには、非二元をも、
非二元とはどういうことなんだ?
と特定しようとしちゃうんですよねー。
特定というのは何をしているのかというと、
分けてるんですよね。
これとこれ以外。
といったように、
分けることをしているんです。
目の前のコップを特定するためには、
コップとコップ以外をでっち上げなきゃなりません。
そやって分けるからコップというものが特定できるというわけです。
この分けるというのが「二元」であり、
実は、この分けるっていうのは、思い込みの中だけのものであり、
概念上のものでしかないんだよー。
ってことでね。
非二元。
つまり、二元じゃない。二元に非(あら)ず。
ということなので、非二元とは何か?と特定しようとするものじゃないんですが、
やっぱり僕らは特定するクセがあるわけです。
犬がスリッパを集めるのと同じような生き物としての習性なのかもしれません。
この習性は習性として別にいいんですが、厄介なのは習性によって作られた仮想世界が現実として振る舞うことなのかもしれませんねー。
すると、習性は習性として扱われず、リアル感として振る舞い出すんです。
そうやって、分けて特定されたものの中に「自分」という概念もあって、
この「自分」は特定したもの「客体」に対して、「主体」として振る舞います。
この分けられたものは、なんていうか夢想のようなものなんですよねん。
本来あるのは、ダイレクトな気づきだけであり、それ以外のものは、
後付けされた人間用の説明書きのようなものなんです。
この人間用の説明書きをこしらえるためには、
本来分かれていないものを分けて、二元に加工しなきゃならないというわけです。
ただ、ややこしいことに、この「二元に加工」されたものの中に、
本来ある、ダイレクトさも混ぜ込んで一緒くたにしちゃうんですよねー。
そして、このダイレクトな感覚を「自分感覚」に置き換えちゃうんです。
そして、この「自分」にもいろんな尾ひれをつけて、ややこしいことにしちゃってるんです。
自分は男であり、社会人であり、今は悲しい思いを抱いていて、
この悲しみは以前あんなことを言われたからであって、、、
性格は大人しくて、でもたまにひょうきんで、、、。
と言った具合にねー。
そして、自分が生きていて、そのうち自分が死ぬんだ。
といった概念も混ざっちゃったりして、
自分が死ぬと、本来のダイレクトさもまた失われてしまう。
これは大変なことだ!
と思っちゃうんですよねー。
「ただ在ってみる」
とは、この特定作業をせずにいてみる。
ということなんです。
そして、
「私とは何か」を問い続けるというのは、
ダイレクトさに付け加えられたものを剥がしていく。
ということなんです。
なんの説明書きも加えられていない、このダイレクトさ。
このダイレクトさがあるから、いろんな説明ができるわけであって、
いろんな概念が作れるわけですが、
そういうものを作らずにただ在ってみる。
すると、ダイレクトな「それ」だけが残ります。
説明書きは存在しない。
これが明らかになればなるほど、今まで分けるために作っていた架空の境界線が崩れていきます。
そして、
この架空の境界線が、あらゆる全ての親密さを断絶していたことを知るんです。