Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りの誤解

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お漬物で有名なたくあん。
このたくあんは、沢庵(たくあん)和尚という和尚さんが作ったということで有名です。

ある日、徳川家光が、
「最近、なに食っても美味しくないのよねー、なんかうまいもんない?」
とか、クソ舐めたことを言ってきた時に、
この沢庵和尚さんが、おもいっきり待たせた挙句にもってきたのが
ふた切れのたくあんだったそうです。

家光さんは、待たされたのを怒らずに、
このたくあんを「うまい!」と食べたのだそうです。

そこで沢庵さんは
「今度から、うまいもんがないとおものなら、腹空かせたらええで!」
的なことを言ったのだそうです。

ま、空腹は最高のスパイスである!みたいなことですねー。

まあ、この沢庵和尚さんと家光さんの関係は面白くて、
沢庵さんは悟りを開いた和尚さんということで、なにをしても動じないんじゃないの?
と試したくなった家光が沢庵さんを呼んで部屋で待たせている間に、大砲をぶっ放してその音でビビるのかどうかを観察したり、
虎のいる檻に、沢庵さんに入ってもらったりといろんなことをしやがるんですよね。

でもここは流石の沢庵さん。
大砲の音にも微動だにせず、虎の檻に入っても虎がゴロニャンと懐く始末。

 

というわけでね。
沢庵和尚すごーい。みたいな逸話があったりするわけなんですが、
これ、悟りを開いたお坊さんだからすごいとか、そういうことじゃないと思うんですよね。

悟りを開くと、大砲の音に驚かなくなるとか、
虎も懐くとか、
そういうことじゃないんです。

これは和尚さんの人間力っていうか、そういうのがすごかったり、
あー、こいつ、なんか企んどるな!という読みの力がすごかったり、
そういうことなんだと思うんですよね。

悟るとどうなるのか?みたいな話は気になる方もおられるかと思いますが、
これは別段特別な力を得るとか、動じなくなるとか、
落ち着いてくるとか、穏やかになるとか、
そういうこととは関係ありません。

こういう「どうなるのか?」というのがもう思い込みでしかないですよー。
という話ですのでねー。

もともと全ての生きとし生けるもの。
もっというと、有機物だけじゃなく無機質なものでさえ、
共通にあるもの。
完全なありのままの姿。
これを知り、そこに立ち返るということなんです。

僕ら人間は、あらゆるものを難しくとらえているだけであり、
難しくとらえるから、そのとらえられたものの中に難しい問題が生じているわけなんですよね。

なにもとらえなければ、自然のありのままが残る。
このことを悟ること。
ということなんですねー。

僕らは、常に何かをとらえているわけではありません。
そんな時はもう自然のありのままを表現しているんです。

ただ、それに無意識なだけなんです。

意識的にそこに気づくと、楽になります。
なぜなら、苦とはとらえられたものの中にしかないからなんですねー。

なので、そこに気づいたとしても、大砲の音がなったら、
人によっては思いっきりビビりますし、虎の檻なんか怖くて入れないでしょうし、
ちょっとしたことに、落ち込むこともイラつくことも起こってくるでしょう。

そんな、あらゆる起こることが愛おしく美しいわけです。
この美しさに気付きながらも、オロオロするわけですが、
気づいたからには、そこにもう深刻さはありません。

この気楽さが帯びてくることで、副作用的に、あらゆることがより落ち着いて観えてくる。
ということもあるかもしれません。
でもこれは、必ずそうなるわけではなく、副作用として起こるかもしれないことでしかありません。

本来は全てが気楽なんです。

焦っていてもオロオロしていても、本来の気楽さがどこかに帯びているので、
引きずらなくても良くなってくるという感じなんですよねー。

なので、ある意味、今まで通り。
だけど、今まで通りで、それで良いしそれが良い!
ということを知っている。
という感じですかねー。

気楽さに落ち着いていると、徐々に板についてきます。
何かを成し遂げるというのもいいんですが、
そんな時にも、気楽さを帯びてみること。
これがねー。
「わしゃ、いったいなにをとらえておるのか?
ということに気づくヒントになるんですよねー。

 

 

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