へい。
おはようございます。
タクさんです。
男女の学生さんのグループなんかに遭遇すると、
この子とこの子がこう。
あの子とあの子がこう。
と、勝手にカップル作りをしてしまう癖がございます。
にしても、グループ内に若干意識しつつある空気感が漂うあの感じ。
イイね!青春やねっ!
ただ、戻りたいかと言われれば、
もうええわぁ〜・・・。
という気持ちが正直なところではあるのですが、、、。
体の若さと体力だけは欲しいところですけどね〜。
皆さんはどのようなホットな青臭い思い出をお持ちでしょうか?
さてさて、
みなさんもいろんな願いや希望があることと思います。
ですが、これと幸せというのはまた別の話なんですよね〜。
幸せとは、元々、ここにあります。
僕らはここで条件を採用することにより、足りない自分というものを演出するんです。
そして、足りないを埋めるものを求めるんです。
そして、これが埋められた時に幸せになれる。
という物語を構築するんですねー。
すると、幸せは、条件付けされてしまうんです。
〜だから幸せ。
〜でないと不幸。
と言った具合にねー。
こうなると、もし、足りないものを手に入れたとしても、
今度はそれを失う恐怖を感じてしまい、いつまでたっても幸せになれんじゃないかっ!
というジレンマを抱えてしまったりもするんですよねー。
つまりね。
幸せって、願いや望みの中には無いっていうことなんですねー。
逆にいうと、願いや望みがなくても幸せな気持ちになってイイ!ということでもあります。
そして、今、ここで先に幸せになっちゃうこと。
するとちゃんと現実もそれについてきてくれるわけなんです。
この幸せに、条件は必要ないんですよねー。
元々、幸せは無条件なんです。
先に幸せになってから、その次に願いや望みという条件を遊べば良いんです。
願いや望みが先なのではなく、幸せが先だったんです。
順番が逆だったんですね。
条件付けという幻想。
ここにハマっちゃうことで、無条件さを見失っていたんです。
願いや望みも、条件付けがないことには発生しません。
そして、
本来の自分、本来の幸せ、至福。
これは、条件なんかに縛られるほどちっこいものじゃないんです。
これを無理やり条件という枠にはめ込もうとすることに無理があったんです。
だから、どんな条件をクリアしたとしても、枠からはみ出てしまいます。
なので、次から次へとより大きな枠を求めてしまっていたんです。
枠は、自分が遊ぶために使うツールであり、その中に無理やり自分を収めるものではないんです。