Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【錯覚の始まり】幸せに条件がくっつく時

f:id:takuteto:20210225003354j:plain

はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

こうなったなら、幸せだろうなー!
みたいなね。
そんな妄想って結構やっちゃったりしますよねー。

もちろん、
それは別に悪いことではないんですけどね。

でも、
「こうなったなら、幸せだ!」
みたいなことを考えてる時ってねー。

結局、不足感にものすごーく注目してたりするんですよね。
そして、それに注目することによって、わざわざ、不幸を作り出している!
なーんてことにもなるんですよねー。

しかもっ!
しかもですよ!

その不足感は自分に向けられておる訳です。
自分の不足に注目しているってわけですねー。

だから、これをやっている時って、不足している自己イメージを
せっせと作っているんですよね。

 

足りない自分という幻想

で、
そんな、足りない自分。という自己イメージが脳内に作られると、
それを聞いた脳は!
「あかんっ!死ぬ!」

って思うんですよね。

ちょっと大袈裟なんですが、最終的にはそこにたどり着くんです。

変な話、自分が何か足りないということは、命の危機が迫っている!
みたいなね。
そんな危機感を感じる訳ですよ。

もちろん、これってイメージだから現実ではないんですけどね。
脳はこれを嘘だとは思ってくれないんですねー。

そして、脳がそれを本当だと捉えることによって、足りない自分という現実を演出するんです。

ちなみに、脳は、足りていることに関してはあまり危機感を演出してくれません。
だって、それは問題じゃないし、命の危機でもありませんからね。

「やばい!満ち足りていて幸せだ!」
「なんとかしなければ!!どうしよう!!」

とはならないんです。

でも、満ち足りている時に、ちょっと今月の請求書のことを思い出したりすると、
途端にそっちに思考が引っ張られます。

それは、請求書の件が「足りない自分」を演出するからなんですねー。

幸せに条件がくっつく時

そんなわけで、足りない自分が演出された時、その足りなさが埋められたなら、
幸せになれるんだけどなー。
ってね。
僕らはそう妄想をするんです。

もうここで、思考の演出にどっぷりハマってしまっているんですねー。

演出された「足りなさ」を信じているんです。
だから、それを埋めなければならない!ともう信じちゃってるんですよね。

だから、幸せに条件がついてしまうんです。

そして、その条件を満たせない自分は不幸である!
という一つの観念を作り上げるというわけです。

条件と幸せは関係ありません

そもそも、幸せに条件なんてないんですよ。
でね、条件がつくと不幸になるんですよね。
だから、条件を求めれば求めるほど、実は不幸のタネを作ってることになっちゃったりするんです。

まー、そんなわけでね。
まずは自分の不足感という大きな勘違いがあって、それで不幸のタネを作ってるということになってる訳ですのでねー。

まずは、無条件に自分を愛でてあげてねー!ということを言ってる訳です。

自分を愛でるのに条件が必要だ!と思っているというのは、条件によって不幸を作っているということだったりもするんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!