Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

観念は膨張し、奇跡を覆い隠す。

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観念は際限なく膨張します。
なぜなら、観念の全ては思い込みだからなんですぅ。

思い込みは抵抗がありませんからね。
いくらでも作り出せるわけです。

そして、思い込みというのは実体がありません。
実体がないから、常に思い続けてないと存在できません。

ま、ホントは存在なんてしてないんですが、
存在しているフリをし続けるには、思い込みのタネをつねにくべなきゃなりませんからねー。
なので、何度も反芻しては思い込みを維持し続けるわけです。

でね。
反芻するとどうなるか?といいますと、習慣化されるんですよねー。

ぼくらは、習慣化という便利機能を備えています。
だから、最初は歩くのもおぼつかなかった赤ん坊が、
スタスタと何も考えずに歩くことが出来るようになるんです。

真っ暗な家に帰っても、すっと手がライトのスイッチの場所に伸びるのも、
習慣化があるからです。

習慣は繰り返されることによって身につきます。

パソコンで言うとショートカットボタンのようなものなんですが、
思い込みも反芻されることによって習慣化されちゃうんですよねー。

僕らはいまさら歩くのに、どこに力を入れて、右足を出し、
タイミングを図って左足を出し、、という歩き方を今更意識することって出来ないじゃないですか。

同様に、思い込みというのも気づかないうちに、それが当たり前になっちゃってるわけです。

そうやって思い込みが習慣化されると、この思い込みのストーリーがより現実化されていくわけです。

 

この思い込みのとおりにストーリーが展開すると信じて疑わないので、
このストーリー通りにならないことを僕らは奇跡と呼ぶわけです。

そして、思い込みに侵食されるに従って奇跡が起こるはずがないという観念もまた強くなるんですよねー。

いやいやいや、、、
もうねぇ。
全ては奇跡でしかないんですけどね。

起こることに、ルールなんてありませんもんねー。

全ては奇跡に満ちています。
あなたは、際限のない奇跡の賜物なんです。

その奇跡の表現の邪魔さえしなければ良いんです。

そして、思い込みの器に奇跡を閉じ込めようとすると苦しみを感じるんです。

どの思い込みを信じれば良いのか?というのが迷いを生み出す原因です。
思い込みは思い込みでしかないから、どの思い込みにも正しさも過ちもありません。

にもかかわらず、正しい思い込みがあると信じているから僕らは迷うわけです。

そして、どこにも正しい思い込みがないから僕らはいつまでも探求を続けなきゃならない羽目になっちゃってるんですよねー。

「ムハッ!!!ほんまや!ぜ~んぶ思い込みや!」
という、なんとも当たり前のことが明らかになると、
バリアが消えていくんです。

バリアが消えるというのは、どういう感じかと言うと、
もともとそんなもん無かったんじゃーん」
という気付きなんですよねー。

国境という線はどこにもないじゃん!
というの似た感じです。

そんなバリアを僕らは沢山持っていたんです。

実際にはないハリボテのバリアがなくなった時、後に残るのは、
思いの及ばない全てです。

思いの及ばないことは、奇跡としか言いようがありません。
そして、それが全てなんです。

 

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