苦しさってねー。
嫌ですよね。
でね。
この苦しさっていうのもまた一つの思い込みなんです。
苦しさってすんごくたくさんあるんですが、
ま、ここでは心の苦しさということにしておきます。
い、、息が苦しいんです。
とか、腰痛がつらいんです。
これも思い込みだと言うんでしょうか???
ってなると話がややこしくなりますからねー。
とは言ったものの、厳密には体の痛みも心の痛みも一緒なんですけどね。
さて、
ぼくらが幸せを望むのも、裏を返すと「苦」が嫌だから。
ということになります。
そして、この「苦」というのは、ある種の思い込みとセットになっているんです。
こう言う条件が満たされると幸せ。満たされないと不幸。みたいな思い込みですね。
苦が生じている時は、必ず「思い込み」が裏に隠れているんですよねー。
この思い込みが「苦」を演出しているというわけです。
そうなりますとね。
どうしても僕らは、この裏側にある思い込みをなんとかしたくなっちゃいますよねぇ。
それが人情というもんです。
ここがねー。
なんていうかパラドックスになってたりするんです。
何がパラドックスなのか?
といいますと、
「苦」をなんとかしなきゃならない。
っていうのもね。
これまた一つの思い込みなんです。
そしてね。
「苦」をなんとかしなきゃならない。と思っているから「苦」が生じている。
っていうねー。
なんとも皮肉なことが起こってたりするんですよねー。
「苦」をなんとかしたいと思うから「苦」が生じている??
んなこと言われちゃうと、
「は??
だって、「苦」が嫌だから、なんとかしなきゃならないでしょ?
そうしなきゃ、ずっと「苦」がありつづけるやん!」
「そんなん嫌やん!」
「ずっと嫌やん!」
ってねー。
思っちゃいますよね。
ここがややこしいパラドックスでありまして、
そんでもって、よく言われている許しっていうのは、
この「苦」があっても良いじゃない!
という許しなんです。
「いいやん!知らんがな!」
ってね。もしかしたら、ちょっと突き放したように感じるかもしれませんが、
「苦」は起こっても良いんですよね。
「いいよ~♪」ってね。許してあげると何が起こるのか?
というと、この「苦」は自分が作ったものじゃないということが明らかになるんです。
まあ、明らかになるっていうか、
「なぜ、自分が「苦」を作ってると思ってたんだろう??」
みたいな感じです。
そもそも、自分がどうこうするって話じゃないんですよね。
もし、自分が作ってるのなら、やめればいい話ですが、
それが出来ないのは、変な話なんです。
そして、出来ないことに悩むのもまた変な話なんですよねー。
なぜ出来なかったのか?
それは、自分で作ってなかったからなんです。