Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全ては常に新鮮であり、常に新しい。

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おっはようございます。
タクさんです。
新鮮な毎日を楽しんでらっしゃいますでしょうか?

ま、僕らというのは、
今までいろんなことを体験してきましたのでねー。
なので、もう住む国を変えるくらいしないと、
なかなか、新鮮な毎日とは行かないかもしれません。

ですが、実際はどこにいようと、
この瞬間、瞬間は常に新しいんですよねー。

子供の頃は、そんな感覚を持っていたかもしれませんが、
年を経るにしたがって、そんな新鮮さは徐々になくなってくるかもしれません。

それってなんでだろう??
なーんてことについて、今日は書いてみたいと思います。

 

新鮮さ。
それはまさにミラクルです。
ミラクルというのは、予測のできないことということになるんですが、
まさにこのミラクルが、実は常に起こっていることなんですよねー。

でも僕らは、このミラクルさを覆い隠してしまっているんです。

「そんな心当たりはないなぁ〜。」

ってねー。思うかもしれませんが、無意識に覆い隠しちゃってるんですよね。

なぜ覆い隠されるのかというと、僕らは思い込みを採用しているからなんです。

例えば、目の前のコップは、コップではないんですが、コップとして思い込んじゃってますよね?
初めてコップを見たときは、コップだとは思っていなかったはずなんです。
なので、逆さまにしたり、ベロベロと舐めたりするんです。
赤ちゃんはよくやってますよね。

そして、コップの中の飲み物をバーってこぼしちゃったりするんですよね。

コップに限らず、机も椅子も、そして私(ワタシ)という観念も。
ぜーんぶ、思い込みなんです。

そして、この思い込みの方だけを採用すると、ミラクルは覆い隠されてしまうというわけです。

なぜなら、ミラクルとは、新鮮さですのでねー。
そして、思い込みというのは、既に知っているものになります。
僕らは知らないことは思い込みとして持っておくことはできません。

つまり、
新鮮であるミラクルを思い込みというフィルターを通して観ることによって、
既に知っているものとして扱っているということになっているんですよねー。

は?じゃあ、コップをコップとして見ないようにするっていうこと?
あんたは、このコップがコップとして見えないの??

なんて思うかもしれませんが、
もちろん、僕だって、ちゃんとコップのことを知っています。
なので、ドバーッてコップ中のものをこぼしたりすることもありません。

これって、よく言われる「私はいない」という言葉や「分離はない」「原因と結果はない」
という言葉をね、条件として取り入れるということではないっていうことなんですよねー。

「私はいない」けど、別に普通に、ワシは焼肉が食べたいっ!って言いますし、
「原因と結果はない」けど、普通に、アイス食い過ぎて腹が痛い!!!って言うんです。

また、ツラいことがあったとしても、「私はいない」んだから大丈夫なんだ!
って思い込もうとするということでもないよー。ってことなんですよねー。

この辺が、条件を現実として掴み取る。というのと、
条件を条件として見抜くということの違いだったりするわけなんです。

コップをコップとして扱いながらも、
全ては無条件だと言う自由の感覚も感じ取れてきますとね。

常に自由さの風を帯びることができます。
この自由さこそ、思い込みに支配されない新鮮さを目の前に感じながら、
ちゃんと思い込みを思い込みとして利用できるということにもなるんですよねん♪

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