ほーい。
おはようございます。
タクさんです。
しかしまぁ、なんですねぇ〜。
僕らってば、いろんな望みはあろうとも、
行き着くところは、幸せになりたい。
ってことなんだと思うんです。
だから、幸せじゃないと思えるものを排除したいと願うんですよねん。
ま、この排除したいという思いがこれまた不幸を作り出しちゃうってなことになるんですけどね。
なんていうか、なんでもないものを不幸として演出するといいますか、、、。
というわけで、今日は幸せになっちゃう秘訣について書いて見たいと思います。
さて、もうそりゃ、たくさんの人が幸せを求めてきたわけですが、
なぜ、こうもうまくいかないのか?
なんかもっとカンタンで良いんじゃないのか?
そもそもデフォルトで幸せであるべきなんじゃないか?
なんてねー。
思う方も多いと思うんですが、
幸せの秘訣を探る前に、幸せを阻害している不幸について考えて見たいと思います。
まあ、みなさんいろんな不幸があるんだと思うんですが、
あえて一言で不幸の正体を表現すると、
「不幸とは、思い通りにならないこと」
ということになると思うんです。
そして思い通りにならないということが起こるには、
こうなれば思い通りである。という条件、ルールを持っているということにもなります。
つまり不幸とは思い通りにならないことを握りしめている。
ということになりますね。
そうすると当然、この不幸のタネを取り除こうとするわけです。
思い通りにならないことをどうすれば思い通りの方向へ持っていけるのか?
と考えるわけです。
これがうまくいく。
つまり思い通りにいくと不幸のタネは一個取り除かれるというわけですねー。
ですがうまくいかないと、どうすれば良いのかわからないので困っちゃうわけです。
なので、どうしたら良いんだろう?とうまくいく方法を探し続けるというわけですねー。
まあね。
このことになんの問題もないんですが、
こうであるべきという思いを信じ込んでいる場合は、うまくいっていないことに対して、必要以上の危機感を持つわけです。
この危機感から感じる感情的な不快感がねー、苦として感じられるわけなんです。
そして、この感情的な不快感と不幸のタネを同一化して捉えていますと、
この不幸のタネの中に私を苦しめる原因があるように見えるというわけです。
また、思い通りにいかないという思考は、足りないものがあるように受け止められたりしています。
思い通りにいって当たり前なので、そうじゃないのは、自分の中に何か足りないものがあるからだ。といった論理になっていたりするんですよね。
なので、足りない自分という自己不信感も持ち込んでいたりして、これまた苦の原因となっていたりもするわけです。
さらには、
この足りない対象が、自分以外にも広がる場合があります。
私が持ち込んでいる正しさ(という思い込み)が、それを満たしていない他人に対して不満を抱いたりするわけです。
こうなると、ますますうまくいかないので、無意味な苦との戦いへと巻き込まれてしまうんですよねー。
思考は無制限に条件を増やすことができますので、一見、自分が抱えている苦はものすごく複雑化しているように見えたりもするんですよね。
また、自分が抱えている観念は、習慣化されると、無意識な領域に収納されてしまいますので、見えなくなってしまっている場合もあるんです。
また僕らは、基本的にうまくいっていることについては、完全にスルーをしています。
満員電車で息苦しく感じているときは、新鮮な空気が恋しくなりますが、
普通に呼吸しているときは、空気があることは忘れ去られています。
頭が痛いときは、足の調子が良いことはスルーされていますし、
髪型がうまくいかないときは、お腹の調子がいいことはスルーされているんです。
僕らは、わざわざ不幸のタネだけにフォーカスして、全てが不幸に包まれているような錯覚を覚え、そのタネがうまく埋められたとしても、そのうまくいっていることはスルーされてしまい、次の不幸のタネにフォーカス先が移動してしまうんですよね。
そうやって、頑張ってフォーカスすることによって、僕らは不幸を常に継続させているとも言えるんです。
というわけでね。
幸せの秘訣とかいいながら、不幸について散々書いてきたわけですが、
じゃあ、幸せの秘訣とはなんなのか?といいますと、
幸せとは、不幸の不在。ということになりますからねー。
そして、不幸を一つずつ埋めていったとしても、それはフォーカス先が変わるだけなのでうまくいかないのだとすれば、その奥にひそむルールの方に注目したほうが良いんです。
つまり、幸せの秘訣とは、持ち込んでいるルールをルールとして見抜くということなんです。
苦の原因は、ルールに真実性を感じているから、必要以上な深刻さを生み出し、
その深刻さが、感情的な不快感として現れていたというわけなんですねー。
ルールは真実ではなく、あくまでもルールである。
と見抜くことによって、必要以上の深刻さは消え去っていきます。
このルールをルールとして見破る入り口は、嘘でもいいから、許してあげる。
ということなんです。
こうあるべきじゃない!という思いがあったのだとしたら、
別にこうあってもいいんじゃない?って自分に問いかけてみるんです。
そこで、感情的な不快感がグワァーって現れたのだとしたら、そこで、掴み取っていたルールが丸裸になるということなんですよね。
あとは、そのルールと対面して観てあげるんです。
戦う必要はありません。
抱きしめてあげたらいいんです。
▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!