Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

素晴らしい教えと便所の落書き

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

ダイヤモンドというのは、
地球上で最も平凡な鉱物である。

なんてことを聞いたことがあります。

ただ、それは今の人間が掘り出せないほど地中深くにあるため、
今のところは希少価値があるものというふうになっているだけなんですねー。

地球の奥深くにはゴロゴロとダイヤモンドがあるそうです。

とは言っても、よくよく考えるとそりゃそうかとも思いますよね。

だって、ダイヤモンドっていうのは炭素ですもんねぇ。

炭素というのは地球上で一番平凡な素材です。

ダイヤモンドにしてみたら、
今まで私ってばあまりに普通だと思ってたのに、
人間が出てきてからやたらみんなに、美人美人って言われて、
戸惑ってたりして。。。

まあ、そもそも価値観なんていうものは、
それを信じている人の間でだけ通じるものですのでねー。

豚に真珠。
馬の耳に念仏。

これ、
よくよく考えると、
真珠や念仏に本来はない価値を感じて崇めている
そんな人間の方がアホなのかもしれませんもんねー。

 

まあねー。
価値観っていうのをどうしても信じていたい。
そんな気持ちが僕らにはあるもんなんです。

これも、自分という観念は、「足りない」が原動力になってたりするからなんですよねー。

だから、
「あらゆるものに価値なんてものはないですよー!」

という言葉はなかなか受け入れられにくいのかもしれません。

だって、これを受け入れちゃうと、足りない自分を埋められないじゃん!
ってねぇ。
なっちゃいますので、困ったりもするんですよね。

ほんとは足りないということこそが思い込みなんだけどねー。

また、価値観というのは「差」という概念を元に成り立っています。

そう。
「差」というのは概念なんです。

つまり、実際に存在するものではなく、錯覚のようなものなんです。

僕らは、差がないと何も掴みとれません。
糸口がないと会話が進まない、
壁に出っ張りがないとクライミングができないのと同様に

「差」がないと何も掴みとれないんです。

この「差」というものをでっち上げるために、価値観というものを作るというわけです。

僕らは、なにかに「差」を見出し、そしてより良いものを掴もうとする。
そして時に、どちらがより良いのか?を主張しあったりもするというわけです。

これらの奥には、普段気づかない「足りない自分」という観念があり、
その自分が、足りないを埋めようとしている。

ここが原動力になっていたりするというわけですねー。

真実。真理。
これは本来「全てには、分離はないよね。」ということを表しています。

だからねー。
この、真実や真理というのは、「足りない」を埋めるものにはならないんですよね。

だって、足りないっていうのは、思い込みに過ぎないからなんです。

そしてね。
真理も真実もどこかにあるわけじゃありません。
全てがすでにそうなんです。

だからね。
お釈迦さんのお言葉や教えの中に真実があるわけじゃないんです。

あらゆる教えは、知らない間に持ち込んだ勘違いに対しての指摘です。

そして思い込みというのは、全て勘違いなんです。

何かしらの条件があると演出されている間だけ、真実に見えているだけなんです。

だから、価値のある真実の言葉がどこかにあるわけじゃないんです。

つまり、素晴らしい教えと便所の落書き。
この間に価値の差なんてものは無いんですよねん♪

つまり価値の差というのは捉える側にしか無いということでもあるんです。

 

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