ほい!
おはようございます。
タクさんです。
「全てを失うことによって、あなたは全てを得るのだ。」
これは、マハラジさんの言葉です。
ま、この言葉って、聞き方によってはハードル高いなぁー。
なんて思ったりもするかもしれませんね。
えー!
「求めちゃいけないノォ〜。そんなん無理〜!」
とか思っちゃいますもんねぇ。
それが人情やと思います。
宗教によっては、全てを失うべきだー!
とか言って、全財産をお布施させたりする常套句に使われたりとかしてね。
で、指導者は何不自由なく贅沢三昧する。
みたいなこともあったりして。。。
だとしたら、釈然としなかったりもして、、、。
逆に、教えでお金を得てる奴は偽物だー!みたいな考えにも発展しちゃったりしてね。
まあ、そういうわけで、
「全てを失うことによって、あなたは全てを得るのだ。」
と言ったような言葉は、聞き方によってはけっこう誤解も生じたりする表現でもあるなー。
なんて思ったりもするわけです。
まあこれね。
何もかも捨てなければならない!
という話じゃないんですよね。
全てを得るために、全てを捨てるぞー!
ってね。
頑張ったところで、多分それだと、減るばっかりで得られないジャーン!
ってなったりすると思うんです。
なんでそうなるか?
と言いますと、やっぱり、全てを得よう!という思いがあるから。
だということになります。
このメッセージのキモは、
全てを失った方がいいよ!
っていうことじゃなくて、
僕らは何も得たこともなく、何も失ったことすらない。
ということに気づく。
ということなんです。
なので、頑張って大事にしてるものを捨てる努力をしろ!
ってことじゃなくて、
僕らは実は、なーんにも得たことなんてないんじゃないだろうか?
だからこそ、死ぬ時も何も持っていけないんだ。
ってことに、気づいてみたら?
ってことなんです。
するとね。
「得たことがないのに、ちゃんとやってこれてるやん!」
ということも発見できるんですよね。
また、
「得たと思うから、足りないもまた生み出してたんやんかー!」
「得たい、得たいと思うから、足りないを確立させてたんジャーン!」
てなことも、発見するんです。
すると、「あー、もう全部あったのね」ということもしっくりしてくるんですよね。
というわけですので、
失おう!とするよりは、
わし、もう全部ある!
から始めた方がラクかもしれません。
そして、そう思えないという思いの中だけに、「足りない」があるだけで、
この思い、思考そのものは、イメージであり実体がないものですので、
思考の中の「得た」という思いも、
思考の中の「足りない」という思いも、
どっちも、持っておくことってできないのかー。
ということをちょっと確かめてみたらいいんですよね。
何もかも得たぞ!
と思ったとしても、ここで、一切の記憶を失ったとしたら?
あらゆる価値観がリセットされたとしたら?
自分は記憶や価値観の中だけで、何かを得たという錯覚をしていただけだったということが、
白日のもとに明らかになるというわけです。
アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話
- 作者: スダカール・S・ディクシット,モーリス・フリードマン,福間巌
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