Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

行為者はいないのにノリノリに乗っかるの?誰が?

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はーい。
おはようございます。

腰はイタイけど、
何やらみなぎってるタクさんです。

みなさん。
みなぎってますかー?

ちなみに、僕はこの記事を朝のカフェで書いておりますので、
みなぎってきたー!とか書きながら、表情はあくまでも能面のような表情をしています。

ツイッターなんかで、激しい議論が繰り広げられたりしてるのをみるとき、
実はみんな、能面のような表情で文字を打ってるのかもしれない。。。
なんて想像をすると、胸アツです。

 

さてさて、
それはそうと、
「あんた、ブログでやりたいことやればいい!」って言ったかと思うと、
「行為者はいない」って言ってみたり、
一体どういうことやねーん。

ってねー。
思う方もおられると思うんですよ。

時間はない。とか言いながら、歴史書が好き!とも言ってますしねー。

この辺のことについて書いてみたいと思います。

ちなみに、僕、
「ああ、私はいないんだけど、私の腹とされている部分が、空腹感を感じている」
みたいなね。
妙に私はいないを意識した言葉遣いって嫌いなんですよねー。
だから、私はいないとか言いながらも、遠慮なく、「僕はねー」とか言うことにしてますが、
そもそも、「私はいない」は演じるものでも、個人に理解されるものでもありませんからね。
これは、時間をいうものがないというのも一緒なんですけどね。

そういうことを言うと、余計に混乱しちゃうかもしれませんが、
「私」と言うのも「時間」と言うのも、白か?黒か?を決めたがる機能である思考のクセのなかにしかないんですよね。
そして、あるのか無いのか?みたいな二者択一の考えも、思考の中にしか無いんです。
そして、
思考というのは、機能なので実体はないんですよねー。

例えば、扇風機に当たると風を感じますよねぇ?
でも、扇風機の中に風が入っているわけじゃありませんよね。
では、その風はどこからきてるのか?というと、ずっとそこにあった空気じゃないですか。
そして、風が起こったとしても、その風に主体者がいるわけでもありませんよねぇ。

それと同じなんです。

僕らって、腹が痛くなった時、
「あーあの時、アイスをバカ食いしたせいだー!」って思うかもしれませんが、
アイスをバカ食いしても痛くならない時もあるわけで、
そして、腹が痛くなろうと自分で予定を立ててたわけでも無いですよねぇ。
でも、腹痛の責任は、俺にある。。。と思ったりするわけです。

何を考えるのか?どんなことにワクワクしてくるのか?
これも、誰もコントロールして無いですよね。
でも、
「こんなやましい考えをしてしまった」と自分を責めたり、
「僕がワクワクしている!」と思ったりしてるんですよねー。

僕らは、体の機能を感じられると同時に、宇宙創成期からある全てそのものでもあるんです。
体の機能は、心も含みます。
そして心はストーリーとして思考されます。
この思考のストーリーを展開するために、「私」という概念と「時間」という概念を使っているだけなんですよねー。

このことは、そう言ったカラクリを観ていくことによって、理解されていきます。
感覚としては、思い出していく。後付けされた考え方が、手放されていく。という感覚に似ているかもしれません。

多分、感じ方は人それぞれなんでしょうが、あなたは、あらゆることに気づいている気づきそのものなんです。

そして、思考のストーリーはこの気づきに脚色を加えて掴み取られたものに過ぎません。
掴み取るには、何かしらの脚色はどうしても必要になるんですよねー。

行為者がいないのなら、何をしたらいいのかわからない。
思考を自分がしていないのなら、自分はどうしたらいいのかわからない。

という意見は、思考以前のものを思考で理解しようとすることに起こるバグのようなものです。
思考が何も無いものを色付けしてつかもうとしてるけど、無いものに色をつけようがなく混乱しているんですよねん。

なので、こうなった場合は、思考でつかもうとすることは置いておいたほうがいいんです。

また、行為者がいないんだから何もすることもなくなっちゃうので、どうしたらいいのかわからないー!
ってなった場合も、同じような混乱が起きていますので、その思考は置いておきましょう。

言葉と一緒に置いておくんです。
そして、リラックスしてみるんです。
意味のないあらゆる音、
意味のないあらゆる景色。
そこに身を任せていると、安堵に包まれる心地です。

あらゆる心配事、あらゆる不安。
そして、考えておかなきゃならなかった事などの全ては、
全部思考という荷物の中にあったんです。
それを置いた今、あるのは今だけになるんですよね。

そしてすでにもう、ノリノリの中にいることにも気づくんです。

ファーっ!!!
楽チンです!!

というわけです。
もしね。
うまくノリノリに乗れてないわぁ〜。って感じるのならね。
もしかしたら、何かしらの考えを掴み取ってるのかもしれません。

そしたらね。
それをポンって置いてみるんです。
よっこいせってジェスチャーをしてもいいかもしれません。

どうしても、うまく置いておけないなぁーって感じる場合は、
そこに許してない何かがある可能性があります。
その場合は、それを許してあげられるのなら、試してみるんです。
そして、難しい場合は、じゃあちょっと今だけ、置いておかせてね。
と許せないさんを説得して置いてみるといいかもしれません。

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