Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無条件の赦し

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海馬ってね。
知ってます?
脳の器官の一部なんですけどね。
脳みその中に小指くらいの大きさの器官があるんですよ。

こいつが、情報の取捨選択をしてるんですよね。

この情報は大事だから取っておこう。
この情報はあまり重要じゃないからほっておこう。

みたいな感じでね。

この海馬の機能によって、僕らはあらかじめ編集された情報を見せられてるというわけなんです。

つまり、よく見たら美人!ってな人も、海馬のせいで見逃されてるかもしれない!!
というわけですねー。

 

ま、それはいいとして、

でね。
見せられた情報をどう加工するのか?というのは、そこは脳の前頭葉という部分がかかわっています。
ただ、前頭葉は大人になるにつれて、どんどん発達していく部分でもあって、その働きはまだ全然解明されていません。

そして、僕らが幸せと感じる部分。
これは報酬系と呼ばれる脳の機能がドーパミンや幸せホルモンを出すことによって味わうことになります。

実は僕らって、起こることについて幸せを感じているんじゃなくて、これらの成分が出ることに対して幸福感を感じてるというわけです。

つまり、僕らの幸せも不幸せも脳の働き次第というわけなんですよねー。

で、この脳の働きに思いっきり巻き込まれちゃうと、
ドーパミン欲しさにドーパミンを得られるようなことを一所懸命やろうとしちゃうというわけです。

セックスにギャンブル、はたまたお酒や危ないクスリはドーパミンが報酬系と呼ばれる脳の部位に刺激を与えるからなんですよね。

ただ、もっとドーパミンの刺激が強いのが、他人に褒められたり、難易度の高い目標を達成した時なんかに出たりするわけです。

まさに、鼻っ面にニンジンをぶら下げられた馬みたいなもんですね。
人も、この報酬が欲しくて何者かになろうと突っ走り続けるわけです。

この報酬が高いのが、人に褒められることだというのが、もしかしたら、人が社会を作り発展させていくための大きなカギになってるのかもしれませんね。
だから、人のために何かをするようになっているっていうね。

そして、僕らの悩みの大半は、ここがうまくいっていないと思っている場合。
つまり、
「私は人に認められていない」
「私は親に認められていない」
「私はダメな人間だ」
みたいなところになってくるのも、なるほどーと思えますね。

で、人に褒めてもらうような報酬を得られないから、
アルコールに走ったり、
ギャンブルに走ったりして、なんとかドーパミン刺激を得ようと求めるのかもしれません。

ちなみにね。
人に褒められるっていうのは、自分が自分を認めてあげられるということができるから、そこで満足感を得れるんじゃないのかな?
って僕は思います。
人に褒められて嬉しい時は、自分を認め、許してあげることができるからです。

もし自分を認められていないと、
人にせっかく褒められても、
「え??嫌味を言われているのか?」
と思ったり、
「こんなの、まだまだだ!」
って思ったりしちゃいますからねー。

つまりは、自分が自分を認めてさえいれば、この報酬系は
もうもらい放題になるって思うんです。
そうなると、もう人にどう認められようか?
みたいなね。
外から得る報酬に右往左往しなくてよくなるんですよね。

そういう意味でも、まずは自分をちゃんと認めること。
これが大事なんじゃないかなーって思うわけです。

ちなみにね。
自分なんてものには、条件なんてありませんので、
本来は、無条件で認められて当然なんですよね。

そして、変な話ですが、
自分を無条件に認め、その許しが起こると、
自分ってもうなくなっちゃうんです。
ま、実際に消えるというよりは、単に見抜かれるだけなので、働きとしては起こり続けるんですけどね。

僕らが自分としていたものって、条件に過ぎなかったんです。
なので、条件という後付けの設定が単なる設定だと見破られると、自分もまた、条件の一つだったんだということも見破られるんです。

するともう、自分で自分を認めようとする必要性もなくなってきます。
認める認めないという話じゃなくなりますからねー。

認めようがどうしようがすでに完璧!というわけです。

その準備運動として、まずは自分を無条件に認めてみるといいと思うんです。

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