【はじめに】
はい!
どうもおはようございます。
タクさんです。
僕らが一番興味を持っているのって、やっぱり自分のことですよね。
集合写真なんかをみると、まずは必死で自分の表情をチェックしちゃいますもんねー。
だから、僕らは自分をうまくコントロールし、自分をうまく運営するにはどうすれば良いのか?
ということに興味津々なのでございます。
でもね。
自分をうまくコントロールするのは誰なのよ?
ってことなんです。
もちろん、それも自分だ!ってなるわけですが、
だったら、この自分をうまくコントロールできない自分をなんとかしたいと思ってるのは誰よ?
ってなると、これもまた自分なんですよね。
変な話、生きているのも自分であり、うまく生きるためにコントロールしているのもこれまた自分だというわけです。
はっはーん。
あやしいなぁ。
ほんとは、その「自分」っていないんじゃないのぉ〜?
って思っちゃったりしませんか?
実は僕らは「自分」という概念を知る以前は、全てを知っていたんですよね。
だから、「それ」は新たに知るものではないんですねー。
【「それ」は、僕らが知るという概念を知る以前から知っていた】
「それ」はすでに知っていることなんだよー。ってなお話。
皆さんも聞いたことがあるかもしれません。
そんなこと聞かされると、
「えー。そんな覚えないけど〜!」ってなっちゃいますよね。
そして、思い出そうと頑張っちゃったりするかもしれません。
でもこれって、覚えてることじゃないんですよね。
僕らが覚えるのは、その覚える条件がなきゃなりません。
でも、ここで言っているすでに知っているは、条件付きのものじゃないんです。
これは、僕らが自分という概念を知る前。そして、知るという概念を知る前に知っていたことなんです。
つまりは無条件に知っていることなんですよね。
【条件をつけると無条件さが消え失せる】
僕らは「それ」を無条件に知っています。
ここに条件を持ち込むことで、わからん!ってなってるわけですね。
条件をつけると途端に無条件さが消えてしまいます。
つかもうとすると、手からこぼれ落ちちゃうって感じ?
つかもうとするから手のひらが見えなくなるって感じかもしれません。
無条件さを知るために、条件を当てはめようとして混乱しちゃってたりするんです。
僕らは知るという概念を知ってから、このゲームの面白さにのめり込み、
知るときに使う条件の価値を信じ込み、無条件で在ってみるということを忘れちゃってるだけなんです。
どうしても条件を求めちゃうという衝動をね。無くすのではなく、そこからちょっと離れてみると、
「あ、これって衝動だったのね。自分そのものだと思ってた。」ってね。
そんなことをと知るというわけですな。
そしてそれもまた、広大な命の表現の一つなんですよね。
ま、ここで一つとか言っちゃうとややこしいんですが、これもまた言葉の限界なんです。
面白いのは命の表現の一部が、命を守りコントロールしているのは自分だ!と錯覚しているということだったりするというところなんです。
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