Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

見るということについて

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何かを何かとして見なそうとする動き。
その動きに注視しておったらええんです。
ただ、注視して見破ってやろう!という思いも何かを何かとして見なそうとする動きだったりしますので、ややこしいんですけどね。


注意深くそのまんま。
うーん、、、。
たんに見る。期待せず見る。
うーん。。。
この言葉もちょっと違う気がしますが、
ま、そんな感じです。

 

注意深くあるって感じですね。
何かを何かとして見なそうとするこの動きはあなたではありません。
なぜなら見えてますのでねー。

自分で自分は見れませんのでね。
自分の目ん玉を自分で見ることはできないっちゅうことです。

また、もし自分やったらコントロールできるはずですが、
湧き上がる思いに対してスケジュール通り管理もできませんしねー。

一時間後に落ち込んだ後、元気な気持ちになろう!なんて予定も立てられませんし、、、。

一回試してみたらいいんですよ。
恋人ができて、うれしくて、
あかん!何やっててもニヤニヤしてしまう!
みたいなときに、
よし!ちょっと世界の不条理について憤ってみよう!と頑張ってみても、

あかん!不条理はあかん事やけどニヤニヤしてまうー!

ってなりません?

なのでまあ、天気みたいなもんなんですよね。気分の気は天気の気。

景気も不景気も気で、あるのは気だけ~♪ってね。

ああ、雨が降るなんて、僕はなんて日ごろの行いが悪いんだろう。。。
なんて嘆くのも見当違いですし、

ああ、私ったらこんなハレンチな妄想を、、、。
はしたないわ。。。って思い悩むのも見当違いやというわけですねん。

ま、湧き上がる思いも、何かを掴もうとするエネルギーも、空の天気も、
たんに起こってることやというわけです。自然現象と同じようにね。

でもって、思いも何かも天気も掴まれとる間だけあるわけです。
あるとみなしとるわけですね。

で、手放されるとさらっと消えていく。
起こることは起こり、消えていくわけです。

ただ、そうやって起こることを起こしている本質は変わらずあるわけです。
波は起こっては消えていきますが、その波は海そのものですからねー。

で、それしかないわけです。だから起こってることもゼーンブそれですし、
起こってないと起こってるも同時に「それ」なんですよね。

波は海そのものですし、波と海は切り離すことはできませんし、
波があるも波がないも同時に「海」やっちゅうのと同じような感じでね。

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