はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?
さてさて、
まあ当然ながら、僕らは目の前で起きていること。
これを対象として捉えていると思うんですよね。
そして、同時に、自分という主体がこの対象を捉えていると思っておられると思います。
でもって、この対象と自分との間に摩擦があるばあいに、
いろいろな問題が生じるわけなんですよねー。
でも、実は主体も対象もありゃしませんのです。
今日はこの辺のことについて書いてみたいと思います。
主体と対象は同じもの
自分という主体。そしてその自分が見ている対象。
これってねぇ。実は一緒なんですよね。
僕らが主体とするものや対象とするもの。これらに違いはないんです。
つまり、自分もまた対象なんです。
全部が対象なんですよね。
これを言い換えると、全部が主体とも言えるわけです。
だから、全てが自分とも言えるわけですが、
どっちでも一緒です。
そもそも、主体も対象もないんです。わかれてないんですね。
だから、どう呼んでも良いんです。
これらを対象と呼ぶのなら、全てが対象だし、
主体と呼ぶのなら、全てが自分であるというわけです。
でも、コインの裏があってこそ表があることができるのと同様に、
対象があるこその主体(自分)だし、主体があってこその対象ですので、
両方とも無いと言えば無いんですよねー。
対象とは何か?
じゃあ、これらの対象たちはなんなのか?というと、
これらは、モノではありません。
あなたがもし、太郎さんや花子さんという名前だとしても、
この名前はあくまでも、単なる便宜上の呼び方であって、
あなた自身が太郎そのものではありませんよね?
あなたは、太郎・花子と呼ばれてるある種の現象です。
止まってませんからね。
もし、あなたがモノなのであれば、10年前と姿が変わらないはずです。
でもあなたは、現象なので、コロコロと変わり続けているはずなんです。
僕らが見ている対象。これらも現象です。
働きなんですよね。
だから、分けることはできないんです。
現象は分けることはできません。
それは、風を上下に分けることはできないのと同様ですし、
歌声を、分けることができないのと同様なんです。
気づきの意識
意識。それは気づきのようなモノです。
僕らは対象に気づいているからこそ、この対象を感じることができます。
ですが、ややこしいことに、この気づきと対象もまた分かれてはいないんですよね。
対象=気づきなんです。
対象は現象、つまり働きですし、同時に気づきの意識であるということなんです。
これは言い換えると、波はうねり、動き、働き、現象であると同時に、
海そのものでもある。
という感じに似ています。
あるのはそれだけなんです。それが全てなんです。
起こっては消える。でもなくなりはしない。
あらゆるものは起こっては消えていきます。
これは、波のようなものです。
でも、波は同時に海そのものでもあります。
だから、波が消えたからといって、何かがなくなったわけじゃ無いんですよね。
波のポテンシャルは消えていません。だからまた波は起こり、そして消えていくんです。
これらはあくまでも表現であり、この表現こそがイノチそのものなんです。
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