Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

そのまんまでリラックス

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今から30年ほど前、まだ僕が子供の頃ってねー。
日曜日になると街が静かになったんですよ。
お店なんかも一斉にお休みになるし、
会社も大体が休みなので、車の往来も少なくなったりして。

今でもヨーロッパなんかではお昼休みや日曜日なんかは静かになったりするところはあるのかもしれませんけど、日本だと今はもう休日も平日とさほど変わらなくなっちゃいましたね。

あの昔の休日な感じの街って、なんていうかほのかなリラックス感があって好きだったんですけどねー。
東京ではもうほとんどそんな街の顔はみられなくなっちゃいました。

お盆あたりは多少そんな感じかな?

 

頭の中のおしゃべりに実は意味はないっていう明らかさがね、
明らかになってきますと、

もちろん、それでも頭の中のおしゃべりは起こりはするんですけど、
なんていうか、今まで占めていた重要感は失せてくるんですよねー。

この重要感っていうのが、強迫観念のようなものやったんですけど、
この強迫観念をしっかりと感じるには、確固とした分離感が必要なんです。

でも、この分離っちゅうのもひとつの観念でしかないわけで、
それがあきらかにされちゃうともう、
意味にこだわる脅迫も、
時間に縛られる脅迫も、
死んだらあかんからよりよく維持していかなあかん!という脅迫も、
その力を維持できなくなってくるんですよね。

ま、元々力があったわけじゃなく、
その都度、力があるねんで!っていう観念をつくっとっただけなんですけど、
それを作るのが面倒くさくなってくるんです。

えええーーー、もっかい作るの〜???ぶーぶーぶー。

って感じになるって言いますか、、、。

ま、というわけで、頭の中のおしゃべりも、
お!今日もせいが出るねー!といったもんで、
あまりその声に脅迫感が感じられなくなるんです。

するとね。
はいはい。心配だねー!っと流す感じで、
いちいち頭の中の声に耳を貸さなくなるんですけど、
そんな時に感じる感覚が、なんていうか、

あ、これ、昔の休日の街の感覚や!

って思ったんです。

頭の中のおしゃべりは、音はないけど、結構うるさいものなんですよねー。

それが消えると、街は今まで通りの喧騒でも、とっても静かに感じるんです。

わざわざ自然豊かな静かな場所に行かなくても、今、この場でリラックスってできるんですよね。

頭の中のおしゃべりは、結構な騒音です。
こんなんにずっとさらされとったら、そりゃーストレスも溜まりまっせ!
ってなもんです。

そのおしゃべりに、なんの強制力もどんな力もありません。

「うわっ!悪いこと考えちゃった!嫌なことあったら嫌だなぁ。。。」
「縁起悪いわぁ」なーんて思ったりすることもあるかもですが、
大丈夫です。
全くそんな力はありませんので。

なので、置いておくことになんの支障もないんですよねん。

ま、たまには頭の中のおしゃべりを相手にせずに置いといて、
アイスでも食べてリラックスしましょ。

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