Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何が嘘で、何が本当なの?

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これを読んでる皆さんも、今、呼吸はしてはるし、心臓も動いとりますよねえ。
いや、両方とも止まっとるで!という方は、今すぐ救急車を呼んでください。
もしかしたら、もう人間をやめているのかもしれません。
ま、たいがいのみんなは普通に心臓は脈打ってると思うんですよ。

でね。悟りのマスターとかいう人がいたとしてね。
そういう人は何を言っているのか?と言いますと、

「わし!心臓動いとりまっせ!そのことに気づいてるんでっせー!」
ってゆーてるようなもんなんですよね。
すると、周りのひとが
あの方は心臓の動きに気づいてらっしゃる尊い方だ!
と担ぎ上げてたりして。

 

ま、実際は心臓が動いとりまっせ!とは言わないものの、
そういった先生方の主張は、いやいやみんなも普通に生きてはりますやんか!とゆーてはるだけなんです。
その命だけがありますやんかー。ってね。

もし、ご自身がそう思えないと感じるなら、
そんなことよりももっと一大事や!と思ってる、
いろんな思いの方を重大視しておるから見失ってるような気になってるだけなんです。
ほんとは見失いようもないことなんですけどね。

せやからね。
誰かの言葉の中を探す必要はなく、その言葉によって何かが自分の中で反応するなら、その自分の方を見守ってみる方がいいんです。

この会では素晴らしいことが起きてます!
とかいう宣伝文句が、サットサンのお知らせなんかであったりもしますが、
実際には「それ」は良いも悪いもありません。
あえていうと、どれもこれもが素晴らしいとも言えます。

つまり、サットサンの中だけで、素晴らしいことが起こってるんじゃないんです。

起こっているのは、素晴らしくない!という想いが起こっているだけであって、その想いがなければ、全ては素晴らしいんですよねん。

なので、やっぱり見てみるのは、自分の中で何かを素晴らしくないとしている想いがあるんだな。ということ。
そして、その判断に従わなくても全然いいのに、なぜか従っているんだな。

という部分を見てみたらいいんです。

何かの会なりイベントなりサットサンの中に特別な何かがあるわけじゃありません。

また、誰かが誰かを目覚めさせることもできません。

ホントに寝てる場合は、
「おーい!起きろー!」って起こすことはできますけど、
いわゆる真我への目覚めということで言うのなら、
言われることを信じても全く意味はなく、確かめてみるしかないんですよね。

神秘的な体験や、一瞥と言われる一瞬何かを垣間見る。
みたいなことは何かしらの方法で体験できることはあるかもしれませんけどね。
そういった体験と「それ」とは全然違うものですのでね。

どんな体験にも価値の優劣はございません。

何かを真に受けたなら、そこで物語が展開します。
それが神秘体験だとしてもです。
またその物語がウソで真理が真実だと言うこともありません。

ウソだとかホントだとかもある種のレッテルです。

何かがあるわけじゃなく、全てがあるんです。

その全ては分離がないが故に、何でもないんです。

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