Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

イマ、ココの甘美さに溶け合う

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はじめに

よいしょーっ!
おはようございます。
タクさんです。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
私はと言いますと、最近ハマってたゲームをクリアしちゃったので、
これでまた、ブログ書きにも力がはいるっ!ってなもんです。
ちなみに今読んでいる本は徳川家康です。

徳川家康って人は、実直で華美や派手さはないけど、堅実という感じですね。
ま、このブログも、地味だと言われることがあるんですが、
今後も地味にやっていこうと思っております。
どうぞよろしくお願いします。

さてさて、
よくいただく質問として、自分が持っている条件付けからどうすれば解放されるんでしょうか?
どうしたら、観念から解き放たれるのでしょうか?

みたいなね。
そんな質問をいただくわけですが、
一言、言っておきたいのは、
あなたは別に条件付けに支配されておりませんし、観念に縛られてもいません。
っていうことなんですよねー。

というわけで、
今日はこのことについて書いてみたいと思います。

 

あなたは縛られてもいないし支配されてもいない

「え?私は条件に支配されていないし、観念に縛られていないの??
だって、縛られているから、解放されてないって感じてるんですけど、、、。」

ってねー。
思うかもしれませんね。

でも、あなたはなんの支配も受けていないんです。

ただし、
思考は条件付けに依存しますし、この条件付けは観念によって起こっています。
条件づけや観念がないと思考は働きません。

そういう意味では、思考だけは条件や観念に依存していますので、
思考は条件や観念に支配されていると言えるかもしれませんね。

でもそれは、あなたではなく思考がそうであるというだけなんです。

思考は条件や観念がないと働かない

ではなぜ、自分が条件に縛られていると感じるのかと言えば、
「私」という概念もまた、思考の一部だからなんですねー。

そして、思考の一部である「私」は、条件や観念から解放されることはありません。
そもそも、この「私」は、概念でしかないので、実際には存在しないんですけどね。

でも、この思考の一部である「私」を条件や観念から解放しようと頑張ったとしても、
それはちょっと無理なんですね。

なぜなら、思考は必ず条件や観念がないと働かないからです。

ただ、条件や観念をある程度は変えることはできますけどね。

ただこれは、ラマナ・マハリシさんの言葉を借りるとしたら、
「トゲを抜いて別のトゲを刺すようなものだ。」
ということになるんですけどね〜。

思考のコントロール

僕らはつねに、頭の中のおしゃべりである思考を、なんとかコントロールしようと躍起になります。
自分の気に入った、楽しいおしゃべりをできれば聞いていたい。
と願うわけです。
ですが、どうしても頭の中のおしゃべりは、楽しいものよりも問題となっているものを優先するという特質を持っております。
なので、このおしゃべりをコントロールしようとするのはちょっと無理ゲーなんですよね。

もし、このおしゃべり。つまり思考をコントロールできるのであれば、この世に悩みは存在しませんからねー。

今は常にここにある

ですが、悩みを深刻に捉えることについては、なんとかできます。
それは、どのような思考が起こっていても、それでいいという真実を受け入れるということですね。
だって、思考は単なる働きですし、思考の内容に良いも悪いも実はないんです。
そこに価値の差もありません。
だから、どんな思いだって起こっていいんです。

いろんな思いは起こるでしょうけど、

「ほほう。そういう思いが起こっておるのか」
「それはそうと、今はなんと完璧でダイレクトなんだろう!」

ってなことで、今のありのままにもどってくるなら、今のダイレクトさはどんな思考にも影響を一切受けていないことは明白になります。

今は常にここにあります。
この「今」はすべてであり、「ここ」は、あちらもどちらも含む全てなんです。

今、ココにあるコレのダイレクトさに触れる時、全ての中の点である思考の中の自分は全てと溶け合います。
溶け合うごとに、コレの甘美がよみがえるんです。

うん。ちょっとよくわからないかもしれませんね。
でもコレが正直な今の表現です。

ではでは〜。
また明日!お会いしましょー。

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