Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ノリノリライセンス

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この話って
実はみんなノリノリライセンスを持ってたんやーっていう気づきなんですよね。

なんやねん。
また妙な話をしやがって。

って思われる皆様の視線を感じつつも
ノリノリライセンスってなんやねん?
というお話をしたいと思います。

 

ノリノリライセンスっていうのはね。
読んで字のごとく、ノリノリであって良いという許可証です。

ジェームズボンドが持っているのは「殺しのライセンス」
そして、僕らが持っているのが「ノリノリライセンス」やというわけです。

子供の頃はしっかりとこのライセンスを活用してたのに、
いつしか大人になって、このライセンスをどっかに忘れてたりするのだとしたら、
ものすごーく勿体無いんです。

ノリノリライセンスを持ってる僕らは、
常にノリノリであるだけでいいわけです。

はしゃいでおったらええんです。
それ以外には何もいらんのです。

僕らははしゃぐために生まれ、はしゃぐために生きているんです。

ノリノリであることを無条件に許されておるんです。それだけでいいんです。

そうはいっても、子供じゃないんだし、、、。
責任だってあるし、ノリノリだけとはいかないよー。

って思うかも知れませんが、
ノンノンノン。。。

勿体無いです。

ちょっっw。楽しむために人生があるのに、
何重たそうに、空っぽの荷物背負ってんの???ウケるんですけどー。

ってことなんですよ。

そうはいっても、やっぱりノリノリだけではダメだと思う。
好きなことだけでは生きてはいけないわけですし。
苦労だってあるわけですし、、、。

ってね。
おもうのなら、それはやっぱり、苦労が好きってことなんですよね。

もしかしたら、苦労しなきゃ楽は得られないと思ってるのかもしれません。

苦労をためて、その苦労を楽と交換する。みたいなね。
そういうイメージを抱いていたりしてね。

さて、僕らの現実世界というものってね。
現実やで!って見なさなきゃ現実にはなりませんよねぇ。

何かを見なすには、整理整頓が必要です。
そうじゃないと、世界って構築出来ませんよねぇ?

だからイメージ上で整理整頓し分類をするわけです。

そしてそのイメージがそのまま現実となるわけです。

その現実というイメージの中で妄想を抱いたりもします。
で、これは妄想でこれは現実と、どちらもイメージの中で抱いているわけです。

整理整頓する際には、どう整理整頓するのかのルールが必要になってきます。
このルールはその人が住む文化によって異なってきたりするわけで、
そうやって教わったルールに則って整理整頓をし、いつしか整理したことすらも忘れ、それが世界だと受け入れているわけです。

こういったね。
ルールも現実とみなしているイメージも、
ぜーんぶイメージの中にありますのでね。

全ては幻想です。

なんて言われてたりもするわけですけど、
じゃあ、幻想に変わる現実があるのかというと、
現実というコンセプトそのものがイメージですので、
真理というものが何処かにあるわけでもありません。

在るのは「それ」だけです。

それって何?と言いますと、ノリノリとしか言いようがありません。

草が芽吹き、木は太陽に枝を伸ばし、
人が往来し、風が吹き、石が転がり、
鳥が羽ばたき、魚が水を切って進んでいく。

ここから、分類というイメージを外しちゃうと、
言葉では表現できない、ノリノリだけが残ります。

全てはノリノリしている。
それが本質です。

そして、このノリノリ以外は何もありません。

だから、はしゃぎ、ノリノリでいることに
なんの遠慮もいらないんです。

森羅万象すべてに与えたれているのが、
ノリノリライセンスだというわけです。

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