Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

受け入れと許し

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ウサギを犬にしようとするなんて事は、とっても可哀想な話ですよね。
だって、ウサギはウサギのままでもう完全に可愛いですし、
口ももぐもぐやってて愛らしいですし。

もうそのままで完璧にウサギです。そのままで完全に可愛いんですからね。

それをねー。
頑張って犬にしようとするだなんて、可愛いウサギがかわいそうです。

耳を切ったりしてなんとか犬のように振る舞おうとするだなんて、
それはとても残酷なことじゃありませんか!

誰が聞いても、
そんな残酷なことあっかーん!何をしようとしとるんや!
あかんでっ!そんなことしたら!目を覚ましなさい!

って言いたくなりますよねぇ。

なんていうか、変えようとすることすらおこがましいですよね。
ショートケーキに塩気が足りん!っていって、塩をふりかけるようなもんですよ!

 

でも、そんな残酷なことを自分に向かってやってたとしたらどうでしょう?

ひょえぇぇぇ!ってなりませんか?
けど、結構やってるんですよ。
そんな残酷なことを自分自身にね。

みんなねー。
自分を過小評価しとるねん。
とかね。
よく言ったりしてるんですけど、
ホント、そのまんまで良いんですよね。

これは向上意識を持たんでええで!
って言ってるわけじゃありませんよ。

ワクワクと向上したい!という思いがあるなら、
それもそのまんまのあなたな訳ですし良いんです。
単にそこに強迫観念や罪悪感はいらんで!

っていう話です。

もちろん、強迫観念や罪悪感が好きならそれでもオッケーです。

それがしんどいねん。って人に向けた話ですのでねー。

悟りだとか非二元だとかを理解しようとする以前にね。
あなたはあなた自身を可愛がってあげてちょーだい。
話はそれからやねん。

っていうことなんですよね。

よく非二元や悟りやスピ系で言われている
「受け入れる」とか「許し」っていうのはね。
自分がより高みに登って、
あらゆることを許せるような寛大な人格になるっていうことやありません。

何か神秘的なことを知ってそれを許せる自分になるということでもありません。

許すということは、「ダメ」がどっかにあるはずなんですが、
そのダメだという思い自体がもう完全に誤解やったんやということに気づき、ほんとの自分の完璧さを知ることなんですよね。
それを知ることにより、全ての完璧さも明らかになるっちゅう寸法です。

そこで、完璧さに目覚めるわけです。
あ、ぜーんぶ最初っから許されとったんやん。ということにねー。

で、完璧さが明らかになっちゃうと、読んで字のごとく「完璧」ですので
何にも知る必要すらなく、何にも気づかなくても良かったんやん。
ってなことも明らかになるわけです。

つまり、自分の可愛さを認めてあげるってことに尽きるわけですねん。
可愛さを認める以前に、まずは自分を可愛がってあげなきゃならんのです。

さあ!今から自分で自分を撫でてあげてください。
さすってあげてください!
あんた、偉いなぁってゆーてあげてください。

何かがしんどいのなら、それが足らんのやと思うんです。

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