Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

事実と現実の違い

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
良い夢みてますか?

この世は夢か現実かー。

ってねー。

信長さんはこの世は夢幻のごとくなり〜!
ってゆーてはりましたけどね。

夢と現実。
これだと、普通僕らは現実の方に信憑性を感じるんじゃないかな?
って思います。

ま、実は夢と現実って仕組みとしては同じようなものなんですけどね。

でも僕らは現実の方をどちらかといえば重視する傾向にあるんですね。

では、事実と現実。
これはどうか?
って話なんですけどねー。

実は、本来は事実の方が信憑性があるはずなんですけどね。
でも僕らは事実よりもやはり現実を重視してしまう。
そんなクセがあるんですよね。

というわけで、今日は事実と現実について書いていきたいと思います。

よいしょーっ!

 

事実と現実の違い

事実と現実。
この違いってわかりますか??

これはね。
簡単にいうと、現実というのは個人による物の見方となります。
そして、事実とは個人ではなく、集団のものの見方ということになるんですね。

なので、警察の捜査や裁判なんかでは事実が重視されます。

俺は悪いことはしていない!
当たり前のことを当たり前にやっただけだ!
と言っても、それはあくまでも個人的な現実に過ぎません。

ですが、日本という国。
これは、ルール上で区切られた集団なんですが、
この集団のルールが裁判なんかでは適用されるというわけですね。

だから、現実をみている場合よりも、事実を見た方が視野は広くなるんです。

自分だけの思い込み。
自分だけの概念よりは、集団の概念を通した方が、物の見え方は広がりますからねー。

僕らは往々にして事実よりも現実を採用してしまう

ですが、僕らは往々にして、事実よりも、自分だけの概念を通した現実の方に流されてしまいます。
そして、その現実を事実と誤認しちゃう。
なーんてことがよくあるんですよねー。

夢よりは現実の方をちゃんと重視するくせに、現実以上に信憑性が高いはずの事実は、
往々にして置き去りにされちゃうんです。

特に、思い悩んでいる場合は、この傾向が強くなります。

なぜなら、思い悩んでいる時って、視野が狭くなっているパターンが多いからなんです。
そんな時は、自分のメガネだけを通した現実だけを見るのではなく、
いろんな視野や意見を通したものの見方も試してみることが大事なんですよね。

なぜなら、視野が狭いということは、見えてないことが多いということです。
それは、言い換えると、的を外しているとも言えるわけですからねー。

真実とは

ま、なので、思い悩んでいたり視野が狭くなっている時は、自分の思い込みだけじゃなく、事実を見た方がいいよ!って話で、一応、事実と現実の話は終わりなんですが、

では、真実と事実はどうなの?一緒なの?っ話なんですけどね。

事実と真実はこれまた全然違うんですよねー。

事実は単なる事実でしかなく、真実ではないんです。

だって、日本では通用する事実だって、他の国では通用しませんよね。
カルト集団のなかでの共通の考え方は、それ以外の集団では通用しないのと同じです。

だから、事実を真実だと思ってしまうとこれまた、争いのタネとなるわけです。

事実はあくまでも、とある集団のなかでの考え方でしかありません。

事実は、集団の考え方なので、この集団の影響力が強ければ強いほど、事実に近い!
みたいなことになるわけですが、真実は全くの逆になってしまうんですよね。

なぜなら、真実は考え方じゃないからなんです。
なので、夢よりもとらえどころがないんです。

ちなみに、真実は事実や現実と対立しません。
そもそも対立軸はありません。

じゃあ、その真実とやらは、どうやって知るのん?ってはなしなんですが、
それは、事実や現実って、概念を通した考え方だよね。
ということの看破によって知るんですよね。

まー、厳密には、こうしたらこうなるって話でもないので、ちょっと違うんですが。

もしかしたら、知ってから、じゃあ事実や現実って概念じゃん!って気づくって表現の方が感覚としては近いかもしれませんが。
ちょっとここでは、この辺のツッコミは置いておきます。

ま、看破とは、
概念を通した考え方って、目の前の真実を概念で色付けして解釈したものだよね。
ということを知ることなんです。

ぼくらが、考えとして採用できるのは色づけされたものだけです。
ですが、色づけされたこの色はイメージの中にしかなく、それは真実ではありません。
だって、元々は色なんてないんですもん。

この色とは、いわゆる概念や観念のことなんですが、これがないものは僕らには掴めません。

ですが、イメージの中で掴んでいるものを全て手放してみると、それが残るというわけです。
まさにそれは、なんでもないものなんですね。

「なんでもないもの」という救い

ちょっとこの辺のことになるとややこしくなってきますねー。
でも、真実が「なんでもないもの」であるということは、僕らの救いになるんです。
なぜなら、僕らを思い悩ませるものは、すべて「なにかしらのこと」ですのでね。

その「なにかしらのこと」を掴んでなきゃならない!という思い込みが、僕らを悩ませるわけですが、
えー。そうなんだ。手放しても大丈夫なんだ!
ということですからねー。

それは救いになってくれるんです。

そして、手放しても良いのにギュッと握っている。
ここに、愛があるんですねー。

手放しても大丈夫なら、持っていても大丈夫ということでもあるんです。

まさに、どっちでも良い!というわけですね。

一周して戻ってくるわけですが、戻ってきた時、深刻さが愛おしさになっているというわけですね。

これで、いいのだ!

  

※タクさんセッションでは、硬く握り締めた思い込みを会話によって、ゆーったりと解きほぐしていきます。心も偏っていると凝り固まります。
そんな心のマッサージとしてご検討くださいませ。

takuteto.hatenablog.com

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